劇場公開日 2021年6月25日

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「率直で感動的な場面が鏤められた、素朴でいい作品」僕が君の耳になる 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5率直で感動的な場面が鏤められた、素朴でいい作品

2021年6月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 渋谷のヒューマントラストシネマ。会場前でアナウンスも流れているのに、入場しようとしてドヤドヤと集まるひとたち。年配の人が多い。なぜ開場前に入ろうとするのだろうと思って、ハッと気がついた。アナウンスが聞こえないのだ。
 その後開場時間が来て入場すると、席に座ったあとで控えめに手話をはじめていた。なるほど、この映画はそういうひとたちが観ようとする作品なのだ。きっと意義のある作品に違いない。

 中島美嘉の「雪の華」や中島みゆきの「糸」にインスパイアされて製作された映画があるが、本作品もHand signというユニットの「僕が君の耳になる」のミュージックビデオから製作されたとのことだ。歌を映画にするのは相当な想像力が必要とされる骨の折れる作業だが、本作品はタイトルからして聾者と聴者の恋愛物語だとわかる。
 出逢いから徐々に信頼関係が生まれ、恋へと発展し、事件があって、そして丸く収まるという起承転結の王道の物語だから安心して観ていられる。かといって学生同士の恋愛の軽いストーリーかというと、なかなかの感動作である。
 聾者のダンサー梶本瑞希さんがヒロインの美咲を演じたが、さすがに映画初出演の演技は厳しかった。それを補ったのが相手役の純平を演じた織部典成で、素直で明るい青年を爽やかに好演。ただ梶本さんは走ると大きな白いシューズが力強く躍動して生命力の強さを感じた。
 中盤に登場して重要な役割を果たすのが森口瑤子が演じた美咲の母である。言葉を覚える前に聾者であった美咲を我慢強く育て、恋愛を経験しようとする娘を優しく力強く包み込む。恋愛が成就するもよし、フラれるもよしという大きな包容力だ。美咲を息子から遠ざけようとした純平の母を優しく諭す。どこまでも強くて優しいおかあさんだ。

 美咲は聾者と聴者のふたつの世界があるという。ふたつの世界は互いに最終的には理解し合えないと。しかしそれは間違っている。聴者の間でも言語が違えば解かり合えない。聾者の間でも解かり合えないことは沢山あるだろう。それに世界はふたつどころではなく、人口の数だけあると言える。美咲の世界と美咲の母の世界、父の世界、純平の世界、それぞれに異なっている。人それぞれにその人の世界があるのだ。
 人と人とは、究極的には理解し合えないのだ。解かり合えないけれども相手の存在を認めることが正しい人間関係なのである。世界平和なのである。美咲にそれが解る日が来るかどうかはわからない。美咲は美咲の世界をこれからも生きていく。映画としては、率直で感動的な場面が鏤められた、素朴でいい作品だと思う。

耶馬英彦