劇場公開日 2021年6月25日

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「タイトルがすべてを物語る」海辺の金魚 たぴおかたぴおさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0タイトルがすべてを物語る

2021年6月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

こんなにすがすがしいバッドエンドがあるだろうか。
いや。
こんなにかなしいハッピーエンドがあるだろうか。
いやいや、そのどちらでもなく、どちらでもある。

そのエンディングの一部がオープニングに使われている。
波打ち際で這いつくばって激しく感情を昂らせている。
そこで何が起きていたのか、わからないまま暗転して、金魚鉢の金魚のカットに切り替わる。
タイトルバック「海辺の金魚」
このタイトルが物語る、金魚は海では泳げないという事実。
それが象徴するような、単純に割り切れない複雑な少女の心もようが、ラストになってようやく一気に紐解かれるのだ。
解放感はない。
かといって閉塞感もない。
なんともいいようのないそのラストは、児童養護施設で育つこどもたちの、明日の滑走路を走る精一杯のリアルなのかもしれない。

説明を極力排した小川紗良スタイルは、長編デビュー作にしては映画としての気品にあふれている。
また、子どもたちの自然なふるまいや表情を自然な風景として撮れているのは熟練監督以上ともいえる。
そこは山崎裕撮影監督の技術のおかげでもあり、是枝裕和監督の薫陶を受けていると言われてしまうだろうが、編集の妙はヨーロッパスタイルのクオリティで舌を巻く。

「いい子」についての映画でもある。
「いい子にしてなきゃ」「いい子にしてろよ」
的なフレーズは思わず口にしてしまうのが世の常だが、その言葉は裏を返せば呪いの言葉だ。
子どもにとっては親や先生から「いい子にして」と言われれば、それを金科玉条としてしまう。
ましてや、「いい子にいしてればお母さんに会えるよ」と言われれば「希望」を抱き、かなわなければ「絶望」を感じる。
子どもにとっては「生か死か」に関わる問題だ。

「いてくれるだけでいい」と伝え、存在を肯定してあげなければいけない場面は多いし、それをベースとして接しなければいけないのが本来なのだが、大人はなかなかそれができない。
ついこの前まで(今でも)同じ境遇で、「いい子でいて」が呪いの言葉となっていた18歳の主役・ハナでさえ、新入りの保護児童につい同じ言葉を放ってしまう。

『きみはいい子』という小説・映画では、「きみはいい子」と言ってあげることで全肯定してあげることがテーマだった。

親と子の断絶は一筋縄では改善しない。
当初はタイトルを「求愛」にするつもりだったというが、海辺で金魚鉢に飼われている金魚という皮肉と表面的な美観との違和感は、改題したことで端的な比喩となった。
解決などしない現実を日常として生きていく子どもたち、そして大人になっていく自分。
その複雑すぎる問題に、少しでも踏み入れてエンパシーを感じようとして、あの一見わかりにくいラストシーンとなったのだろう。

和歌山カレー事件にも想を得て、農薬かき氷事件として使うあたりも、冤罪の匂いの濃い事件に対する関心が窺える。
個人の問題が深く社会的問題に起因するという視点をもつ点でも、是枝映画のよき後継者と言えるだろう。

たぴおかたぴお