劇場公開日 2021年5月12日

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「立ち止まることの肯定。友の記憶と共同幻想」くれなずめ 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5立ち止まることの肯定。友の記憶と共同幻想

2021年4月26日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

笑える

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幸せ

古い友に限らず、家族であれパートナーであれ、大切な人と豊かな時間をともに過ごした記憶はたとえ意識の奥底に沈んでいても、何かを見聞きするなどふとした拍子に思い出されたりするものだ。あるいは、大切な人が「ふっといなくなった」後でも、夢に出てきて何の違和感もなく昔と同じように会話したり笑いあったりということだってある。誰もが経験する大切な人の記憶をめぐるそんな心の動きを、何とも鮮やかな手法で作品化したのが松居大悟監督の「くれなずめ」だ。

友人の結婚披露宴で余興の「赤ふんダンス」を披露するため久しぶりに集まった高校時代の仲間たち。高校当時は帰宅部でさえない彼らだったが、文化祭の出し物を一緒にやったことで意気投合し、卒業後も毎年のように集まっていた。だが5年前にある重大なことが起き、それ以来会っていなかった彼らが久々の再会を果たしたのが、映画冒頭の披露宴会場での打ち合わせだ。

「老けたなあ」「全然変わらないっすね」という再会場面でありがちな言葉のやり取り。あるいは、飯豊まりえが演じる会場スタッフの言動。冒頭のシークエンスからさりげなく伏線がいくつもはられている。ただし、始まってからものの十数分で、この映画の仕掛けに関する種明かし――とまではいかないにしても、かなり明白な示唆――が吉尾(成田凌)の口から告げられる。

「暮れなずむ」からの造語であるタイトルは、昼から夜に移る狭間の時間である夕暮れ時に、先へ進まず敢えて立ち止まることを肯定する言葉として受け止めた。劇中で描かれることの大半は、披露宴と二次会の間にぽっかりと空いてしまった狭間の時間であると同時に、彼ら一人一人の回想を通じて次第に明らかになる、5年前の出来事にうまく折り合いをつけられずにいる人生の停滞期とも呼ぶべき現状だ。

彼らが過去と折り合いをつけられるように本作が用意した仕掛けは、ある種の共同幻想だ。現実の事象に寄せて解釈するなら、集団幻覚に近いだろうか。本作は松居監督によるオリジナル舞台劇の映画化だが、演劇にせよ映画にせよ、劇中の虚構を観客が真実であると信じるという意味で、劇や映画を観る行為もまた共同幻想のようなものかもしれない。

過去の悲劇を克服して前へ進めというポジティブな励ましは世にあふれている。だが無理して進まなくていい、人生に立ち止まる時期があっても、会えなくなった大切な人をゆっくり想う時間があってもいいじゃないか。「くれなずめ」はそんな別の選択肢を示してくれたように思う。

高森 郁哉