劇場公開日 2021年7月10日

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「ワイドレンズ、無かったの!?」ねばぎば 新世界 buckarooさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ワイドレンズ、無かったの!?

2021年8月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

まぁ金銭的・スケジュール的な制約の中で本作を制作された方々には頭が下がる思いですが、
いろいろ思ったことがあるので無粋を承知で書きますね。

やっぱ映画って、脚本と役者と映像と音(音楽)と編集の融合で成り立つものだと思うんですよ。
特に個人的には、映画を観る悦びの大部分が映像と編集によるものなんです。

で、
この作品、2時間弱あるんですけど、鑑賞中ずーーーっとストレスでしょうがなかったんです。
というのも「ひきの画」が極端に少ない。
シーンや場所が変わっても、人のアップしかない。
せっかく同じ空間で会話しているのに、顔のアップの切り返しばっかり。
本当に顔のアップ、アップ、アップ。
それしかない。
画面が狭い。
息が詰まる。
画角が極端に狭い。
狭い部屋での撮影だと、本当に機材が足りなかったのか?と思うほど、
画面の両端に人を入れるのがやっと、みたいな画角が多数。
だから、本当に適当にカメラを据えた、みたいな「なんで?」みたいなカットばっか。
特にひどいと思ったのが、和室で子供との再会を喜ぶ父親の頭頂部ばっか映ってるカット。(しかも頭髪が薄い)
なぜオッサンの薄い頭のドアップを見せられないといけないのか?
このカットの意図は?謎。
あと、宮古島で海の中の父親へ駆け寄る子供の感動的()なシーン。
走っていくカットは必要だろ!?なんでないの?
普通の感覚なら、画面の左から右へ走っていく子供を、横ドリーで撮るでしょ!?
そこへ音楽をバーーーンと流して、超感動的なシーンにできるやん!
そういう、少なくとも「いいシーン」での決定的な、印象的な画が全くない。

監督さん(コオロギ役の方)は劇団出身らしいので、そのへんの事情には暗いのかもしれない。
だったら撮影監督が適切なアドバイスをしたらいいのに!
テレビ版座頭市で、それこそ顔のアップばっかで一本つくろうとした勝新太郎に、
ベテランの撮影監督が「それでは成り立ちません」とそのアイデアを拒否した、というエピソード、
春日太一の本だったかな、で読んだ。

低予算でもやっぱり「マストなカット」はあるはずだし、そういうのをなんで押さえてないのか不思議。これは撮影監督の責任。
冒頭、せっかくの新世界を闊歩する赤井英和のカット。
レンズはちゃんと拭いとけ。

ストーリーはともかく、舞台ではない「映画」を観ている悦び、
映像の力、編集の力をもっと信じて映画を制作してほしい。

またまた個人的感想だけど、別に舞台も観に行くから他意はないんだけど、
劇団員芝居は映画には向かない、と思う。
大仰。クサい。わざとらしい。
その点、小沢仁志が出てきたときには「映画」らしくなってたわ。

あとさー、
ラストカットよ。
途中でクレジットはさんでるんだからさー、
別に続けて弁天埠頭で終わる必要ないやん。
それこそ冒頭と同じで、新世界を闊歩する二人で終わればよかったのに!
で、もう一回「ねばぎば新世界」のタイトルをババーーンと出すのよ!
これだけでも、おおーってなると思うんだけども。

そもそもこの映画を観ようとおもったきっかけが、予告編の上西雄大。
これはもしかして、とてもいい役者さんなんじゃないだろうか、と。
鑑賞後の感想も全く変わっていない。
この人の良さを引き出せる、最高の監督と最高のスタッフで別の映画を観てみたい。

buckaroo