劇場公開日 2022年4月8日

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「奥行きのある作品」潜水艦クルスクの生存者たち 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0奥行きのある作品

2022年4月12日
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鑑賞方法:映画館

 ロシアはゴルバチョフによる改革で全体主義から民主主義へと移行したかに見えたが、実際はそうでもなかったことは、エリツィン大統領とその後継者であるプーチンの政治で明らかになった。エリツィンのチェチェン侵攻からプーチンのクリミア併合、ウクライナ侵攻と、ロシアは世界から総スカンを食らう政治を延々と続けている。

 思うに、ロシアの官僚主義は日本のそれによく似ている。事なかれ主義と責任回避が蔓延して、誰も責任を取らない。自分で決定すると責任を取らなければならないから、上司の命令を待つ。上司は上司で、その上からの命令を待つから、結局は大統領の命令ですべてが決まる。イエスマンしかいないわけだ。それに加えて日本の官僚は、既得権益の死守と利権拡大と天下り先の開発には余念がない。ロシアも同じかもしれない。
 あまり報道されないが、厚労省がワクチン接種の横並びに固執した結果、ワクチンの使用期限が切れてしまった。地方自治体の首長たちが早く接種させろと訴えたにもかかわらず、厚労省の役人は批判を恐れて訴えを却下したのだ。世田谷区の保坂区長が怒っていた。
 その後、使用期限が切れたことが明らかになると、期限が切れても大丈夫だと強弁している。賞味期限切れの食材を使った飲食店は営業停止になるのに、厚労省のミスは許されるらしい。試しに厚労省を営業停止にしたらどうか。日本の衛生保健行政はずっと円滑に進むかもしれない。

 本作品でも、ロシア軍の官僚主義が救助を妨げる。軍人は基本的に命令には絶対服従だから、官僚や政治家が素早い決断をすればいいのだが、イエスマンばかりだと、誰も決定しない。そこで大統領の決断を仰ぐことになる。
 人命が大切なのか。それとも軍人は国のために死ぬ覚悟をしているから、国家の威信を優先させるのか。二者択一のように思えるが、実はそうではない。軍人も人間だ。人命に違いはない。つまり本当の二者択一は、国家なのか、国民なのかである。
 国民が主権の国を民主主義国、国家が主権の国を国家主義国と呼ぶ。ロシアは明らかに国家主義である。ファシズムだ。何のことはない、プーチンのロシアはナチスそのものなのである。

 理科の授業で、水を張ったビーカーにろうそくを立てて火を付け、上からフラスコを被せる実験をした人もいるだろう。火が消えるとどうなるかを憶えている人がいれば、本作品の出来事に納得すると思う。
 軍人も人間だから、命の危機に際しては生き延びようとする。本作品では緊迫した状況で、生き延びるための様々な努力が描かれる。訓練どおりにはいかないし、貧乏なロシア軍は給料もろくに払えないから、訓練も足りていない。にもかかわらず北極海で演習をする。愚の骨頂だ。軍人たちをほぼ使い捨てに等しい扱いをしている。この頃から、プーチンには合理的な思考が欠如していた訳だ。

 本作品で描かれる潜水艦内部のストーリーは創作だが、息を呑むシーンの連続である。特に潜水して道具を取りに行くシーンは、観ているこちらも息が苦しくなった。潜水艦内部の様子を描く一方で、陸で帰りを待つレア・セドゥをはじめとする軍人たちの家族の物語もちゃんと用意されている。
 命令を待つだけのロシア軍の官僚、命令に従うだけの軍人たち、給料もなくて苦しい生活を送る家族、そして民間人にも容赦のない諜報組織。事故を取り巻く人間たちの様子が立体的に描かれている。奥行きのある作品だと思う。

耶馬英彦