劇場公開日 2019年8月9日

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「カーストの終焉」シークレット・スーパースター 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0カーストの終焉

2019年8月15日
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鑑賞方法:映画館

 思春期の少年少女の音楽サクセスストーリーの映画はいくつか観た。2015年のイギリス映画「Sing Street」や2015年のフランス映画「La Fammille Belier」(邦題「エール」)などである。しかしイギリスやフランスの子どもたちが遭遇する困難と、インドの田舎の子どもたちが遭遇している困難とでは、かなり質が違うようだ。
 台詞はほぼヒンディ語と思われるが、度々英語が混じる。日本人が英単語を混ぜるように使うのではなく、丸々一文が英語だったりする。愛の告白も英語だ。言語は文化そのものだから、言語が混じるのは文化が混じるということだ。それはいいことだと思う。文化は放っておくと衰退するから、常に変化が必要だが、他文化との交流は変化の引き金になる。インドは多民族国家であり多言語国家だから、文化交流は国内でも盛んである。インド経済が凄まじい発展を遂げているのはそのあたりにも一因があるだろう。
 本作品の主人公インシアは学校へ通える身分だから、カーストは最下位ではなさそうだ。ニカブを着るところを見るとイスラム教の家庭である。父親は日本の家父長制度のように封建主義で暴君ぶりを発揮する。対する母親はどこまでも優しいが、優柔不断で独立心がなく父親の横暴に抵抗できない。インシアをインスゥと呼んで可愛がる。
 ヒンドゥ教ではないのでリーインカーネーションの場面はないが、代々受け継いだ家庭の伝統がある。どちらかと言えば女性の人権を認めないその伝統にインシアは反発し、抜け出そうとしている。そのあたりまでがこの映画の前提として知っておくといいと思う。

 インド映画の俳優女優はみんな歌が上手い。本作品も例外ではなく、インシアの歌はとても上手である。しかし歌が上手な人はこの世にごまんといる。テレビ東京の「カラオケ☆バトル」を見ていると、日本国内だけでも歌の上手い人が沢山いることがわかる。しかし歌が上手いだけでは売れないし食っていけない。本作品もそのあたりは解っていて、映画音楽としての歌が売れたことになっている。だが肝心のその映画が売れたシーンがない。もう少し時間が伸びてもいいから、その映画が大評判になったシーンがいくつかあれば、映画としてよりリアルになっただろうと思う。
 本作品は歌のうまい女の子が成功するだけの話ではなく、現代インドが抱えるカーストの問題、女性の地位の問題を隠しテーマとして伝えている。先日観た「SIR」(邦題「あなたの名前を呼べたなら」)という映画は、カーストの世襲の問題が正面から扱われていた。21世紀も20年近く経過して、異なる文化と宗教が入り混じったインドにおいても、実質的な女性解放の時代、それにカーストの終焉の時代を迎えたのかもしれない。

 主演のザイラー・ワシームは18歳。性格のいい主人公を楽しそうに演じている。柔らかくて声量のある歌は聞いていてとても気持ちがいい。個人的にはサラ・オレインを思い出した。アーミル・カーンのコメディタッチの演技もおかしくて、150分があっという間だった。

耶馬英彦