劇場公開日 2021年1月29日

  • 予告編を見る

「監督は映画のオーセンティックなものを求めている。」天国にちがいない Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0監督は映画のオーセンティックなものを求めている。

2021年10月8日
PCから投稿

この映画はトレーラーが出回っていて、それをよく見る機会があった。 面白そうだと
思いいつか見るぞと思っていた。そして、無料が見つかったので今日見られた。

ニューヨークでタクシーの運転手がスレイマン監督に、どこの国からきたのと。
スレイマン『ナザレン』と町の名前で答える。
運転手『国?』
スレイマン『パレスチナ人』 タクシーを急に止める。 『パレスチナ人を見たことがない、よく顔を見せろ』と。マイクロアグレッションの賜物!!! 可笑しい!!
運転手はナザレン(ナザレ)がイエスキリストの生誕地なので、興奮しているようだ。それに、アラファット議長をカラファットと間違えて、いい奴だと言っているようだ。
そして、奥さんからの電話をタクシーの運転手はとり、パレスチナ人をはじめてのせている話をする。
本当に意味のあるコメディを作るのが上手だ。ニューヨークにユダヤ人は多くいてもパレスチナ人は🇵🇸少ない?!

ニューヨークの大学かどこかに、監督として招待され、そこで、監督としての経験を意味のないようなあるような形で質問され、『他の言葉で言うと、スレイマン監督は完全にストレンジャーですか』と聞かれるが、スレイマン監督は講堂に集まっている学生を戸惑いながら右の方から左へと上の方から下へと見つめている。学生は有名な監督に与えられた、質問の答えを真剣に待っている。ーーー私は大笑い。 だって、監督にとって、講堂にいる学生の身なりの方がストレンジなのである。クマだったり、ウサギだったり、、、、、面白い。質問する教授と真剣な眼差しと、そのトーン、学生の有名な監督から何か聞きだそうとする態度、スレイマンの当惑。 すごいシーン。

この映画は笑えるシーンが多すぎて書き切れないからここでやめる。フランス(パリ?)やニューヨークを訪れて、新しい場所を見つけようとしても、どこもかしこも同じような問題にぶつかり、どこに住んでも一長一短で、帯にながし、たすきに短しだ。故郷が一番いいかも、と言う映画だと思った。しかし、これだけじゃない。 オーセンティック(本物の,確実な,真正なという意味)なもの(こと)に良さを感じている監督であり、そうしたいと思っている監督だとおもう。パレスチナではパレスチナの俳優、フランスではカナダ・フランスの俳優、アメリカではアメリカ・カナダの俳優をかなり多く使っている。そこに、メキシコ生まれの俳優、友人役でガエル・ガルシア・ベルナル監督が出る。ガエルの電話の会話(スペイン語を話している) で、[スペイン(orラテン系)の話を英語で作れ、それに、ネイティブの民族にはどんな言葉でもいいから適当に話させろと。]こう言う企画ならやめると。 これは、スレイマン監督の言いたいことだと思う。映画監督は最近、英語の映画にするのが多すぎるし、(日本映画もタイトルが英語になっている時がある)オーセンティックでなくなっている。スレイマンはグローバル化によるこの兆候の見直しも主張しているのではないかと勝手に思った。

スレイマンの『時の彼方へ』 を観てレビューを書いたことがあるが、この監督の良さが分からずじまいだった。 ただ私はパレスチナの映画を数多く観ている。 そして、それらのレビューも書いているし、少し、ある教育に携わっている。そんなに数多くのパレスチナ人を知らないが、 日本でもよくあった(ある?)受け身の自律性に欠ける教育なようだ。(あくまでも私の少ない経験に基づいている) だから、スレイマンのように批判的思考力に基づいた映画監督はちょっと稀なような気がする。

筆を置こうとして気がついた。スレイマン監督はこの映画で静かな声の出ない傍観者なのだ。なぜ? 冗談にばかり気に取られないで、批判思考力の目線でもう一度見るべきだなと思った。グローバル社会の問題点を追求しているのではないか。英語映画やどこの国でも同じ問題を抱えているということ以上の問題を私は意識化する必要があるなあ。

Socialjustice