劇場公開日 2019年8月2日

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「宝石箱のような映画」あなたの名前を呼べたなら 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0宝石箱のような映画

2019年8月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 8年前に放送された「家政婦のミタ」というテレビドラマがあった。松嶋菜々子が怪演した主人公は、長谷川博己演じる一家の主人からもその子供たちからも「ミタさん」と呼ばれ、それなりに人格を重んじられていたと思う。家政婦は英語でhousekeeperだが、本作品の主人公ラトナは召使い、servantである。servantには奴隷という意味もあって、人格は認められない。ちなみに公務員はpublic servantである。つまり公僕だ。私を捨てて公のために尽くさねばならない。にもかかわらず自分たちを支配階級と勘違いして、国民のことを働いて税金を納めるだけの奴隷のように考えている官僚や役人が多いような気がするのは当方だけだろうか。
 相手役のSIR、つまり旦那様は驚くほどの人格者である。自由平等博愛の精神をそのまま体現したような人で、流石にここまで出来た人にはお目にかかったことがない。これほどの人物が登場するのであれば、邦題のタイトルは原題「SIR」のまま「旦那様」でよかったと思う。
 秋元順子が歌った演歌「愛のままで」の歌詞に「ただあなたの愛に包まれながら」という一節がある。愛されてさえいれば幸せという女心は万国共通なのだなと改めて思う。
 インドはラマヌジャンという天才数学者を輩出した国であり、IT先進国なのだが、意外に不自由な国でもある。日本のインド料理店の従業員はたいていネパール人という噂がある。ネパール人はインド料理を修行して日本で店を出す自由があるが、カーストの階級が下のインド人にはビザその他の自由があまりなくて、日本で店を出すのはかなり難しいらしい。華僑やアメリカン・ドリームのような逆転の希望がないのだ。
 太古の昔にはカーストによる差別に反対してゴータマが仏教を興したが、ヒンドゥの偏見を無くすことは出来ず、雨降って地固まるみたいに逆に偏見を強める結果となってしまった。人間は弱くて、仏教が求める、煩悩を超越する強くて独立した精神性という理想に耐えられない。だからイスラム教やキリスト教に走る。
 カーストの意識が根強く残る農村では、生まれた瞬間に一生が終わっている。しかし都会に出れば、自由に生きられる可能性がある。旦那様の婚約者の「ここはムンバイよ、好きなように生きられる」という台詞が耳に残る。
 農村の精神性が強く残ったままの主人公は、何もかも捨てて旦那様の愛を受け入れる選択がどうしてもできない。しがらみばかりが網のように心を蔽ってしまう。昔の芸者のように泣いて別れる運命なのだ。しかし女心の残り火はいつまでも消せない。その切なさが本作品の芯である。儚い恋はいつの世も麗しい。バスや列車の車窓から眺めるインドの景色も、いくつかのバリエーションのある主人公の衣装も美しく、ひとつひとつのシーンが心に残る宝石箱のような映画である。

耶馬英彦