劇場公開日 2019年10月11日

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「この世界も棄てたものではない」最高の人生の見つけ方 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5この世界も棄てたものではない

2019年11月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

楽しい

幸せ

 リストをこなしていく過程で吉永小百合の北原幸枝と天海祐希の剛田マ子がそれぞれに抱える問題をひとつずつ何らかの解決を見ていくのは、よく出来た終活みたいだ。しかし所詮は金持ちであることが前提のファンタジーだ。最初は自分には無理だと思ってしまう。しかし物語が進むにつれて、段々と地に足のついた作品になってくる。

 ムロツヨシがいい。中年と老年の女性2人があちらこちらに行くのには、何かと面倒を見る人間が必要だ。予定の手配から管理、現場でのアテンドまで、痒いところに手が届くサービスをさり気なくやっているのが解る。有能な秘書はこうでなければならない。この人の存在のおかげでリアリティのある物語になったと思う。
 もし自分が余命を宣告されたらどうするかと、上映中にそのことばかりが頭をよぎる。夏目漱石の「草枕」に書かれてある通り、どこに行ってもどこに住んでもこの世の住みにくさは変わらない訳で、ピラミッドを見ても宇宙旅行をしても何も変わらないのは本作品の主人公たちが何も変わらないのと同じである。死を迎える心構えができるためには、結局自分が変わるしかない。
 人間の性格が変わるには生きてきた時間の3分の1の時間がかかるらしい。環境を変えたりこれまでと違う経験をしたりするなど、本人が自分を変えようとしてもそれだけの時間がかかる。変えようとしなければ一生変わらない。

 生は死を内包しているから、人間は生きているあいだに死ぬための準備をしているようなものだ。死の恐怖から逃れることは難しい。年老いて惚けてしまうのは、もしかしたら死の恐怖を感じなくするためかもしれない。
 人体の耐用年数は50年くらいらしい。資産計上で言えば50年経ったら減価償却がすっかり済んで、残存価額が残っているだけという状態だ。経費はかからないが、使い勝手も悪くなり、メンテナンス費もかかる。しかし脳は衰えないとのことである。衰えるのは好奇心で、いろいろなことに関心がなくなると、脳は働こうとしなくなる。衰えるのではないようだ。70歳の北原幸枝を演じた吉永小百合さんは御年74歳である。あの若々しさはよほど好奇心の塊であるに違いない。

 大抵の人は大金持ちではないからこの映画のようにスカイダイビングをしたりピラミッドを見に行ったりはできないが、身の回りのいろんなことに関心を持って脳を働かせ、衰えていく身体と折り合いをつけることはできる。余命宣告されてからではなく、いまからできる話だ。本作品を観て、どうせ自分は金持ちじゃないからと思うのではなく、自分に合った面白いことを探すことだ。生活のために嫌なことを我慢するのが美徳ではない。刻一刻と死に向かっている身体を自覚し、残りの人生を楽しく過ごす。面白いこと愉快なことはたくさんある。もしかしたら人のために役に立つことができて、心から感謝されることがあるかもしれない。この世界もまだ、それほど棄てたものではないのだ。そんなふうに思わせてくれる映画でもあった。

耶馬英彦