劇場公開日 2016年8月27日

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「文明国が直面する諸問題」ティエリー・トグルドーの憂鬱 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5文明国が直面する諸問題

2016年9月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

現在、もはやどの文明国も大きな成長を望めない段階にきている。右肩上がりは20世紀でほぼ終了し、下り坂の時代になったのだ。そこにグローバル化の波が押し寄せ、人も金も物も国境を越えて自由に行き来するものだから、国家という枠組みでは制御しきれない状態になった。そこで20世紀の後半から、各国政府の代表はサミットだとか、G20だとかで問題の解決を図ろうとしてきた。しかし発案者の意図とは違って、各国の政治家は旧態のままで相変わらず自国の利益優先だ。だから何度会議をやってもグローバル化による問題は解決せず、世界はいつまでも安定しない。それは取りも直さず各国の国民が世界の安定よりも自分の利益を優先していることに等しい。

主人公トグルドーもそんなグローバル化と下り坂の影響で生活に支障をきたしているが、腐らずに淡々と向き合おうとする。だが他人の小さな悪事に目を凝らす仕事に鬱々とする日々が続く。

フランスはさすがに哲学の国だ。救いようがない状況をそのまま描く。そして安易な希望は抱かない。映画は見ている時間だけではなく見終わってからも何日も何か月も余韻が残り、主人公の後ろ姿がいつまでも目に浮かぶ。

邦題「ティエリー・トグルドーの憂鬱」は、安直でお手軽な発想ではあるが、この映画に限っては邦題として秀逸である。原題の「La loi du marche」は無理に和訳すると「市場の法律」みたいになる。巨大スーパーの警備係の苦労話に矮小化しているみたいで、映画のタイトルとしては珍しく邦題の方が優れていると思う。

イギリスの詩人Wystan Audenの作品「THE NOVELIST」に次の一節がある。
For, to achieve his lightest wish, he must
Become the whole of boredom, subject to
Vulgar complaints like love,
どんなに軽い望みを達するためにも
小説家は憂世の倦怠の全量に化さねばならぬ、
恋みたいな凡俗の嘆きにも身をかがめ、
(深瀬基寛訳)

友人や同僚たちの悩み、家族の不幸を背負ったトグルドーのやりきれない背中を見るだけでも価値がある映画だ。

耶馬英彦