劇場公開日 2017年3月4日

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「今のお前に必要なんは、ちゃあんと誰かに見ててもらうことじゃな。」しゃぼん玉 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5今のお前に必要なんは、ちゃあんと誰かに見ててもらうことじゃな。

2020年5月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

原作既読。そのせいか、映画で描かなかった場面まで脳内補完されてしまっている。
田舎の婆さんが知らずに逃亡犯を匿う。牙剥き出しの荒んだ神経の逃亡犯が、田舎の純朴さに心を洗い清めていく。・・よくあるストーリー。ゆえに役者の腕の見せどころ。その点、林遣都もよかったが、やはり市原悦子の抜群の存在感がいい。捉えどころがない佇まいは、あの柔らかい声が作り上げていく。「ぼうが、ええ子なとは、婆ちゃんがよおく知っとる。」と愛情あふれる言葉が抱きしめてくれ、冷え切った心が温もってくる。だからと言って全幅の信頼を寄せてはいない。そこは他人なのだ。だけど、親切にはちゃんと親切で応えてくれる。だから翔人も体を動かすのだ。この女優が鬼籍に入られたことが惜しまれてならない。
そしてシゲ爺の存在。田舎だからと言ってけして優しさだけでなく、厳しさもあることを示す。ぶれない態度でいつも。それが次第に翔人の気持ちに働く喜びが生まれてくる。そう、誰かに頼りにされ、見ていてもらえることの幸せをかみしめながら。
美知の存在は、原作でも尻切れ感があった。彼女を出さないと改心のきっかけがないのだけど、あの出番ならばもう少し距離(例えば、会ったことのないシゲ爺の孫の話に変えるとか)があってもいいんじゃないかと思えた。

小説では、翔人と婆さんの会話で、村には中学までしかないから子供たちは高校から村を出て、そのまま帰ってこないことが多いと話す。なかには中学から親元を離れ、寮に入る子もいるらしい。寂しくないのかという顔を翔人がすれば、「立派な人に育って欲しいって親たちは皆そう思っちょるけえのう」と婆さんが言う。「こんな村から?」と翔人の疑問に対する、「こげな村だからじゃ」の答えには、子を思う親の愛情が滲んでいた。そんな婆さんに「自分で大事にしたいと思うもんにはの、嘘はいかんとよ」と諭されれば、ほろりとくるわな。だから最後のシーン、家の灯りが点っているだけで、こちらももらい泣きをしてしまうのだ。(シゲ爺とは原作通りのシーンがほしかったけど)

余談ながら。
僕は去年の今頃、この舞台の椎葉村を旅で訪れた。柳田国男や宮本常一で読んだ土地をこの目で見たかったからだ。人吉から向かう国道は驚愕の山道で、道は狭隘で片側は崖下の奈落。想像を軽く超えていた。峠を越えてたどり着いた椎葉村は、たしかに山、山、山。ここに住む人々の不便さを思いやった。平成16年発表のこの小説では、「香川県の1/3の面積」というほど広大な村に、人口3,700人だと書かれていた。気になって調べると、大正から昭和初期には10,000人前後を行ったり来たりしていた。その頃から半分は切っていたようだが、想定内ではあった。それよりも驚いたのは、現代令和元年にはなんと2,579人にまで激減していることただった。発表の数字に頼れば、ここ10年で1,000人以上も人口が減っていることになる。これから数年は更に加速するであろう。

栗太郎