劇場公開日 2018年3月16日

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「「リメンバー・ミー」と思うだろうか?」リメンバー・ミー ウシダトモユキ(無人島キネマ)さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0「リメンバー・ミー」と思うだろうか?

2020年2月22日
iPhoneアプリから投稿

まぁ、生きてりゃいろいろあるよ。
だから死んでからもいろいろあるのはちょっと面倒くさいなぁ。

忘れようとしても忘れられない人もいれば、
普段は忘れていてもキツイ時に現れて助けてくれる人もいる。
同じ人の記憶でも、思い出す時によって天使だったり極悪人だったりするし、思い出す側の人によっても人格者として記憶されていたり、ダメ人間として記憶されたりもするだろう。
そんな場合、死者の国でのその人は、どんな人物像として存在することになるんだろう?そんなことをぼんやり考えながら観ていた。

誰かが誰かを忘れていく時、名前から忘れていくのか、顔から忘れていくのか、声から忘れていくのか。それらの忘れられ具合によっても、死者の国でのその人は、名前を失ったり、顔や声を失ったりしていくのかな。

自分がいなくなる時、覚えていてほしいと思うだろうか?人の倍寂しがりだから、たぶん思うんだろうけど、自分ではどうにもならないことだし、そのどうにもならない基準で、自分が存在できるかどうかを決定されるのって、結構残酷なルールだな、死者の国は。って思ったけど、実はこの世もたいして変わらないか。「独り」では生きたことを証明できないから生きてないのと同じ、という意味でも、人は独りでは生きられない。

だからせめて死んだ後くらいは、「忘れないでほしい」という欲からは解放されたいもんだなぁと思う。
例えば僕が死んで、家族や友人たちから、僕の名前や顔や声が忘れられていったとしても、例えば映画の話の折に、僕が映画について話したことが、誰かの映画の話の中に影響として残ってたりするくらいが、生きた証としてはちょうど良いんじゃないかなぁと思ったりもする。

人の縁にしがらんでしんどい時に、新たな人の縁で観ることにした、人の縁の映画。
ピクサー独特の「よきこと」を迷いなく歌い上げるウザさはなかったとは言えないけど、その日の僕にこの映画は優しかった。

ミゲルがギターを鳴らす時と同じ表情で、また映画を楽しめるようになりたいと思う。

ウシダトモユキ(無人島キネマ)