劇場公開日 2015年8月8日

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「前作と両方見る必要があります」日本のいちばん長い日 アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5前作と両方見る必要があります

2016年8月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

この原作は半藤一利が 1965 年に出版したもので,奇しくも今年が丁度 50 年目に当たっている。出版の2年後の 1967 年には岡本喜八監督によって映画化されており,カラー映画が主流になりつつあった時代にありながら,敢えてモノクロで撮影したこの旧作は,未だに名作として鑑賞され続けている。この時の脚本は名脚本家橋本忍の手によるもので,非常に緊迫した雰囲気を最後まで崩さず,終始誰が殺されても不思議でないような緊張感に溢れていたのが印象的であった。この旧作を,私は何度見たか数え切れないほど見ている。この旧作を見てから本作を見に行かないと,人物関係等が分かりにくいのではないかと感じた。

今作は,監督の原田真人が自ら脚本を手がけ,旧作が描いてなかった部分を実に丁寧に掘り起こしており,リメイクを作るという意識はほとんど感じられず,被っているシーンも驚くほど少なく,全くの新作を見ているかのような新鮮さを感じることが出来た。まさに脚本の手柄と言うことが出来るだろう。原作者の半藤氏は護憲派のサヨク的人物であり,原田監督も宮崎駿らと行動をともにしたことがあるなど,やはりサヨク的な言動の多い人物であるが,本作にはあまりそういった姿勢が感じられず,東条英機を悪く描き過ぎている点を除けば,非常に中立的立場で,ドキュメンタリーに徹しているかのような雰囲気を感じさせていたところに好感が持てた。ただ,組閣から話を始めたのでは,いくら2時間半の尺があっても足りないだろうと思ったら,案の定,後半から終盤は非常に駆け足になってしまったのが惜しまれた。

役者は,いずれも好演していたと言えるだろうが,旧作に比べると軍人が軍人らしくなくなっているのが残念だった。まず,声である。軍人にとって声は,戦場で号令や指令を発するための大切な商売道具であり,良く通る芯のある声で話していたはずで,身近な例を挙げれば,鮨よし遊の吉池右亮氏のように威勢の良い張りのある声の持ち主ばかりだったはずである。この点,旧作で畑中少佐を演じた黒沢年男は狂気を感じさせるほど見事な役作りであったが,本作の松坂桃李は終始囁くように喋っていたので,全く迫力が感じられなかった。役所広司は,旧作の三船敏郎にかなり迫るまでに成長したかと感じさせてくれた。山崎努の鈴木貫太郎総理は,旧作の笠智衆よりはるかに頼もしく,旧作の不満が解消された。だが,何と言っても素晴らしかったのは,昭和天皇を演じた本木雅弘であった。旧作と違って昭和天皇のシーンは格段に増えており,表情をほとんど変えずに,その人柄を感じさせる演技というのは非常に難易度の高いものだったに違いないのだが,実に見事に演じ切っていたように思う。

音楽は,「マッサン」を手がけた人だそうである。決して出しゃばらず,しかも各シーンに不可欠な音楽を見事に書いていたと思う。感情に流されることなく,しっかりした情景を描こうとする姿勢が感じられたのだが,これは監督からのリクエストだったのかも知れない。音楽に関しては旧作を上回っていたと思う。

演出は,非常に短いシーンを繋いで構成されており,いかにも原田式であった。もうちょっと見たいと思っているところで切り替わってしまうので,少々もの足りなさを感じることもあったが,それでもあまり大きな不満には感じられなかった。顔を相手に向けたままの敬礼の仕方など,当時の風習を見事に再現しており,丁寧な下調べを行っていることが伺われた。現代的な目で見れば,一斉に同じ敬礼をする軍人は,ロボットのように見えてしまうのだが,これは敢えて行っている演出の意図なのかも知れないという気もした。ただ,やはり尺の問題で,玉音盤の宮廷内での捜索や,佐々木大尉率いる民兵による首相宅の襲撃などは大きくカットされており,これでは佐々木大尉を演じた松山ケンイチが可哀想になるほどであった。やはり,この作品だけでは不十分なのではないかという気がする。旧作と本作を2本立てて上映するのが一番いいような気がした。
(映像5+脚本5+役者4+音楽4+演出4)×4= 88 点。

アラカン