劇場公開日 2015年6月20日

「評価の低い本作を全力で擁護させて頂きます!ターナーの目を通して時代を描く。」ターナー、光に愛を求めて さぽしゃさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0評価の低い本作を全力で擁護させて頂きます!ターナーの目を通して時代を描く。

2015年7月22日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

知的

本作にも登場する有名な絵画「The Fighting Temeraire(解体のために最後の停泊地に曵かれていく戦艦テメレール号)」を見て、はっ!と思われた方、いらっしゃいますよね?
実は「解体のために最後の停泊地に曵かれていく戦艦テメレール号」は、2012年に日本でも公開された映画(ある有名なシリーズ物)にも登場します。

解体され役目を終えるテメレール号と、新しい時代に戸惑う主人公を重ねたショットが、素晴らしいんです!なんの映画か、分かる方いらっしゃいますか?

この絵を描いたのがジョセフ・マロード・ウイリアム・ターナー。
本作はターナー(ティモシー・スポール)の晩年、50代~70代、亡くなるまでを描いています。
と言っても、本作でターナーがいかなる人物であったのか、またその絵画を理解するのには足りません。
そもそもマイク・リー監督は、ターナーを描こうとしたわけではないと思われます。
それは以下の理由からです。

1)ターナーの人格形成にもっとも影響を与えた、精神病院でなくなる母親が一切描かれていません。
女性に冷たく接するシーンがありますが、それは母親とのトラウマからなんです。
またターナーが未亡人を好んだのには、理由があります。
母親は結婚してから精神を病んだので、ターナーは結婚しても病まないと証明済みである未亡人と関係をもったのです。

2)本作にはほぼ油絵しか出てきませんが、ターナーは水彩画を3万点(すみません正確な数は不確かです)ほど遺しています。
ターナーと言えば、油絵より水彩画の巨匠として有名なんです。現在に伝わる水彩画の技法は、ターナーを初めとするイギリス画家が生み出しました。
晩年のターナーの絵は、色に拘る余り形がなくなり抽象化します。
またターナーは副題にあるような光だけを求めたのではなく、光を含む、その瞬間の匂い、風、所謂"空気""大気"を描こうとしました。なぜ水彩画を大量に描いたのか?恐らく油絵では乾くのが遅く、" 瞬間の空気" を描くのに適してないと思ったからではないかと想像します。
でもそれでも遅い!ウエット・オン・ウエットなどの技法が、ここから生まれたのかもしれません。

3)庶民のターナーが、もの凄く苦労して努力してなったであろうアカデミー会員のこと、若い頃の武勇談は描かれません。
この3点はターナーを語る上で、肝になる部分だと思います。

確かに、ターナーの絵画を想起させる美しいシーンはあります。素晴らしいと思います。
またターナーの有名な逸話、吹雪の中で船のマストに縛られ風景を観察するところとか、絵画に唾を吐いたり、(今で言うところの)エアーブラシ的な技巧をライバルの目前で披露するするシーンなどがあります。※個人的にはSUN IS GOD!のエピソードは不要と思います。
でもターナーの素晴らしい技巧を語るなら、晩年の到達点である抽象画を見せるだけで観客には十分伝わると思うんです。
市場の評価はあまりよくなかったターナーの抽象画は、それから数十年後にブームとなる印象派のスタイルと同じだからです。
どれだけ早すぎる天才だったか分かります。
ターナーが他人の絵を眺めて嘲笑うシーンがありますが、それは自分の絵に比べ彼等の絵が凡庸で古臭かったからです。
お時間のある方は、ターナーが嫌った同時期の画家、コンスタブルの絵とターナーを比べることをお勧めします。

では本作は何を描いているのでしょうか?
そもそも何故マイク・リー監督は、ターナーの晩年を描いたのでしょうか?
イギリス、時代はヴィクトリア王朝へ移行する過渡期です。蒸気機関車が走り出し、街が活気づいて、アメリカから見たことのない機械が入ってきます。それは「キャメラ」と呼ばれました。ターナーも写真館を訪れて、撮ってもらいます(創作?写真見たことありません)。
本作にも登場するターナーの崇拝者で胡散臭い美術評論家ジョン・ラスキンが「あらゆる旅は、その速さに比例してつまらなくなる」という言葉を遺しているように、人々の移動手段も大きく変わった時代だったのでしょう。
そう!時代は産業革命による経済の発展が著しい、イギリス帝国絶頂期です!
ホコリ立つ下町を歩くターナーの周りを、やたらと賑やかに人が行き交うことに気付かれると思います。その時代に生きた人達の生活感が、リアルに伝わってくるんです。
ロマン主義の画家は遙か昔の神話を描くのではなく、目の前の出来事を鋭い感性をもって描き出しました。

例えば「テメレール号」は、ナポレオンに勝利したネルソン提督と一緒に戦った戦艦です。それが役目を終える。一つの時代の終わりを描いています。
描かれたのは1938年。ヴィクトリア王朝が1937年からと言われてますから、マイク・リー監督はターナーの鋭い(庶民の)目を通して、一つの時代が終わり新たな文化が花咲く、イギリスの輝かしい時代の流れを描きたかったのだと思います。

因みにターナーは肖像画を全くと言っていいほど描いていません。この頃の画家は肖像画を描いて食べてました。恐らくターナーは、コミュニケイト能力がかなり低かったのだと想像します。肖像画を描くと、モデルと長く接しなくてはいけないですからね(モネもそうだと思います)。
そんなターナーが、ピアノの伴奏でだみ声で歌うシーンなんか、なんともユーモラスで可愛いんです。
偏屈で秘密主義、でも絵の腕は一流の叩き上げ、でもちょっとキモいイメージだったターナーを、こんなに人間味溢れる魅力的な人物として描けたのは、名優ティモシー・スポールの力が大きいと思います。
また文字通りターナーの光となった女性と、影になった女性二人、息子の為に絵の具を捏ね、どんなに具合が悪くてもキャンバスを貼ってやる父親の姿など、ターナーを取り巻く愛情深い登場人物達が、時代と芸術に厳しい目を向けるターナーの姿を和らげます。

イギリスの絶頂期を、ターナーと一緒に鋭く見つめてください!

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さぽ太