劇場公開日 2019年10月18日

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「弱さとは」解放区 andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5弱さとは

2019年10月25日
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鑑賞方法:映画館

弱さとは何か。
監督は「外側から」「物見遊山でなく」西成を撮りたかったのだという。それはある一面に於いては成功を納めてはいる。
冒頭で、制作会社のADである主人公はスタッフとともに「引きこもり」の家に赴き、家族にインタビューを敢行する。統合失調症であるという(それにしては母が語るような特徴は一切みられないので、私はこの設定を疑っている)息子との接触には成功するが、結局「画」が撮れずディレクターに罵倒され、泣く。この点から既に主人公の弱さが提示される。罵倒するディレクターも変だが、あの場面で泣くのもやや変だ。
何もかもうまくいかずに、3年前に出会った少年を撮るべく西成に向かった主人公が「西成に呑まれる」様がリアルに描かれる。
西成の描写はそのまま切り取ってきているのでやはりリアルだ。しかし、この街を「弱者の街」と単純に呼ぶことを私は躊躇う。スクリーンに映る西成の人々は「生きようと闘う」ように見えた。薬や酒に溺れても、彼らはそこに生きる。疎外されること自体は弱さでもなく、自己責任に期することもできない。疎外されてもなお、もがく人びとを私は弱いとは、なんとなしに思えなかったのだ。
最初から弱さの片鱗を見せる主人公は、「引きこもり」の彼を呼び出し、取材を手伝わせる。彼の「人とは違う」意識が垣間見える瞬間である。酒を飲み、名も知らぬ女性と一夜の関係を持ち、意識高いことを語ったあとで財布を盗まれ、ただただ西成で転落しつつもなお、撮ろうとする男。そこに現実感があまりなく、気持ちがうまく響いてこず、もどかしかった。私だったら...まずカードを止めて交番行って相談するかな...(とても劇中そういう雰囲気ではないが)。
この映画において「強者(意識高い人)」であったはずの主人公が反転する場面がいくつかある。ひとつは「統合失調症の」彼にお金をたかろうとするシーン。正論が逆転し、主人公は「頭おかしいんじゃないですか」と吐き捨てられる。彼が「障害者は楽して生きられる」という壮大なる意識下の勘違いを露呈させる場面は苦笑いするほかないが、昨今、こういう人は多いんだろうなあと思わされる。もうひとつは日雇いの仕事に出るシーン。彼はそこでは使えない者であり、取材の意図の甘さを看破される。
主人公は最初からラスト近辺まで「クズ」であり、全く自分と周囲を理解していない。よくある「意識が高いだけの人」とも言える。彼が最後に迷いながらも実行した選択が、初めて自分で「選び掴んだ」もの。正しくはない。ないが、その選択で何かが変わるのかもしれない。
延々書いてきたが、この映画は西成というより、ひとりのよくある「意識が高いだけの人」を西成によって丸裸にしてしまった映画だと思う。弱い意志や綺麗な仮面を剥がされる街。本能の街、なのかもしれない。圧倒的な人間臭さが残った。
サイドストーリー的な「引きこもりの兄とその弟」はもうちょっと書き込めても良かった気がする。もしくはばっさりなくしてしまうのもありだったか。
そして冒頭の問いにかえると、弱さとは即ち、意志の弱さ、なのかもしれない。強い人も弱く、弱い人もまた強い。どちらかで区別できない。

andhyphen