劇場公開日 2015年2月28日

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「作中の出来事の奥にある世界のあり方を考察しよう。」プリデスティネーション 昭和ヒヨコッコ砲さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5作中の出来事の奥にある世界のあり方を考察しよう。

2023年9月15日
PCから投稿

楽しい

知的

難しい

私はSFは現実とは異なる理屈の中でも変わることの無い人間の本質を表現する作品であると考えている。
故に本作は時間跳躍によるタイムパラドックスの中で「人間とはどういう存在なのか」が語られていると思っている。

最近では世界線という言葉があって、可能性によって世界が分岐並行して存在するかのような考え方がよく見られるが、個人的にはこれにはあまり賛同できない。
この世界の情報を保存し、存在たらしめるためのメモリがあるのか、というのが一番の疑問だからだ。
世界の宇宙の状態がラプラスの魔のレベルで保存され、進行していく。
更に可能性によって世界線は無限に増え続けるのだ。
パソコンで言うならブラクラみたいなもの、という感じがする。
とは言え、私の知識や頭ではその説を完全に否定も出来ないし、世界線という概念も面白い考えとも思う。

この作品が提示してくれたものを、そういう風に自分の頭で組み立て、矛盾を見つけ、組み直しと繰り返して遊ばせてくれる。
なので、本質としては「主人公がフィズルボマーと闘う」ではなく「どうしてこの結末に辿り着くのかを考える」作品なのだと思う。

▶個人的な考え
この作品では人のランダム性はそれまでの蓄積によって辿り着いた状況によって決定されるとしている。
同じ時間、同じ経験を経たとき、選択は同じになる という「状況再現」が決定付けられている。
ポケモンの乱数調整みたいなもの。
故にタイムマシンが完成した時点で、世界中の乱数が再設定され、それに合わせた時間が進行することになる。
その結果、ジェーンは特異点として存在することとなった…

もう一度タイムマシンで新しい行動をすれば状況が変わって「フィズルボマーにならない未来が作れる」というのは神の視点の我々の発想。
それを出来る存在はあの世界には存在し得ない。
全てはタイムマシンが完成した時点でサイコロを振り直され、決定付けられたのだから、ジョンはフィズルボマーになる以外の道は存在しない。
二度目のサイコロを振る機会は少なくともフィズルボマー誕生に影響を及ぼせる範囲では訪れそうもなさそうだ。

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昭和ヒヨコッコ砲