劇場公開日 2014年9月13日

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「言葉への愛とそれをこえるもの」リスボンに誘われて よしたださんの映画レビュー(感想・評価)

2.0言葉への愛とそれをこえるもの

2015年2月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

幸せ

 列車に乗るジェレミー・アイアンズと言えば、20年以上も前にジュリエット・ビノシュと共演したルイ・マルの「ダメージ」の印象が強かった。高級官僚のアイアンズが国際列車に乗って出張。スマートなスーツに身を固め、颯爽としていた。それ以来、私にとってのスーツの着こなしのお手本となり続けている。

 今作でアイアンズ扮する主人公の老教師は一冊のポルトガル語の書物と出会う。彼が心のうちに抱え込む人生の虚しさに対して、この本との出会いによって具体的な言語が与えられる。
 人間は自分自身のことが一番よく分からないものだ。しかし、このよく分からないものが言葉を得ると、その言葉たちとその言葉の主に尽きない興味と共感を抱く。
 映画はこのように、自分の心の奥底にあるものについて、言葉の光で照らされた人間を描いている。

 その書物の中の人物である、アマデウとエステファニアという男女は結ばれることはなく、別々の道を歩むこととなった。彼女には分かっていた。アマデウにとって大切なのは自分自身の魂に耳を傾け、そこから聞こえてくる声に従うこと。こうした人間にとっては、他人の愛が自分の幸せに必要なものにはならない。

 老教師とリスボンで出会った女性眼科医とはどうなるのであろうか。彼女が「ただ、ここに残ればいい。」と引き留めた駅でのラストシーンが美しい。
 ここまで、言葉というものへの愛着が服を着て歩いているような主人公が、恋という言語化できない感情と、やはり明確な言葉にすることの出来ない別れの情景に包み込まれている。
 言葉という、映画にとっては厄介な存在がテーマとなる原作を、果敢にも映像化する理由こそがそこにある。

 セットやCGなのだろうか、リスボンの街の描写が平板なこと、旅情を掻き立てる演出が乏しく、エキゾチシズムを期待していた向きにとっては物足りなかったこと、カットのつなぎに不自然なとこがあることなど、この際多くを言わないでおこう。

佐分 利信