劇場公開日 2014年12月13日

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「争いの日々にお休みなさいを言おう」おやすみなさいを言いたくて ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0争いの日々にお休みなさいを言おう

2015年1月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

知的

おそらく、今年2014年、ぼくの心の奥底まで最も深く到達した作品。ジュリエット・ビノシュという女優は、映画の持つ雰囲気をあまりにもケレン味なく、自然に伝えることができる。その映画作品のもつ雰囲気を体全体で受け止め、観客に伝えることのできる「霊媒師、シャーマン」のような気がしてならない。それほどまでに彼女は、いい意味で「演技していない」。演技なぞしなくても、本作の主人公の女性戦場写真家、レベッカ、その人物の魂がジュリエット・ビノシュに憑依するのだ。
映画は衝撃的なシーンから始まる。戦場カメラマン、レベッカが写真を撮っている。場所はアフガニスタンのカブール。紛争地である。ある女性の葬儀が行われている。墓穴の底に横たわる女性。集まった人々はみな、なにやらつぶやいている。きっと、お悔やみを述べているのだろう。しかし、死んだはずの女性は、墓穴の中からおもむろに起き上がった。人々は当たり前のように彼女を墓穴から取り上げる。彼女はまだ生きているのだ。観客である僕たちは当然、なんだ、これは?と思う。しかし、これから間もなく、この女性は本当の死を受け入れるのだ。次に彼女は、参列者の祈りがささげられる中、体全体に爆薬を取り付けられる。もうすぐ、運命の時を迎えるであろう、彼女の最期の姿を撮り続けるレベッカ。カシャ、パシャ、カシャ…… シャッターを切る音だけが無機質に響く。爆薬を取り付けられた女性は、車に乗せられる。一緒に市街地まで同行するレベッカ。
やがて「聖なる戦い」のために、女性は神に祝福される瞬間がやってくる。葬儀は先ほど済ませた。もう自分はすでに死んでいるのだ。何も恐れることなどない、後はスイッチを押すだけ……
シャッターを切り続けていたレベッカは超現実的な、いままでの一連の時空間から、人いきれのする市街地での現実世界に、ふっと自己の意識を取り戻す。自分は何を見ているのだろう? 自分は何をすべきだろう? 彼女は我を取り戻し叫ぶ。
「爆弾よ!逃げて!!、みんな逃げ……」
その瞬間、轟音と真っ赤な炎、爆風、誰のか分からない血液が辺り一面を染める。レベッカも吹き飛ばされ、彼女のカメラは血にまみれて地面を転がる。
 こんな危険な仕事を続けるレベッカにも夫とふたりの子供がいる。あの自爆行為(自爆テロという言葉は、僕は簡単に使いたくない)の現場から、運良く自宅のあるアイルランドに帰国した彼女。
彼女の帰りを待つ夫はもちろん不機嫌だ。
「いつまで、こんなのやってるんだ、もう、耐えられない! 僕と子供達は、母親の死亡通知がいつ来るか、待ってるんだぞ」
夫の怒りは当然だ。しばらくの間、仕事を休もう。静かな生活を家族と送ろうと、レベッカは思う。
しかし、一時の安息をしている彼女に、出版社から新たなオファーがかかる。比較的安全、とされているケニアの難民キャンプ取材の仕事だ。レベッカは悩んだ挙句、この仕事を請けることにした。娘も連れて行こう。というのも、ママは、なんのためにこんな危険な取材を行い続けるのか? それを長女ステフ(ローリン・キャニー)が強く知りたがっていたからだ。しかし、長女と共に、現地入りしてみると、この安全とされた難民キャンプにも機関銃を持った男たちが襲いかかってくる。この瞬間、彼女は戦場カメラマンの「スイッチ」が入ってしまうのである。
「危険すぎる、戻れ!!」彼女はガイドの男性の制止を振り切る。
「大丈夫よ、必ず戻るわ。娘を安全な場所へ、おねがい!」
彼女は泣き叫ぶ長女をガイドの車に預け、自分は難民キャンプ襲撃の様子をカメラに収めようと集落に向かうのだった。
本作は一人の女性戦場カメラマンと、その家族を、主人公レベッカの目線から描く。そこには国と国との争いごと、政治的な問題。それらに関しては「あえて」視線を向けていない。本作で描こうとしたのは戦場カメラマンと、その家族、そしてレベッカが写し取る、ひとり、ひとりの「個人」という被写体である。
戦争の大義について問題提起しようとする姿勢は本作にはない。そんなことよりも、もっと大事なことがある。戦争、紛争になれば、最も弱い「個人」が、最も大きな犠牲と悲しみを背負う、ということである。
ただ、こんな感じで理屈っぽく鑑賞するだけではもったいない。本作は映画作品としても大変魅力的だ。
印象に残るシーンがいくつもある。
レベッカの心象風景なのだろう、水の渦の中に舞い踊るような身体。すべての緊張と制約、日常のしがらみを解き放つ、無重力を思わせる水の中の世界。時折映し出される海辺の光景。それにロウソクをつけた紙の気球を、家族みんなで飛ばす風景はよかったなぁ~。ふわぁ~っと空に舞い上がって、あとは気流の流れに任せて空を漂ってゆく、なんともはかない「紙の気球」
それにどんな比喩や暗喩があるのか? それは観客が自由に感じればいい。本作には、映画監督のメッセージを観客に無理やり押し付けようとする、ありがちな表現手法は取られていない。スクリーンに提示されるイメージをどう受け止めるかは観客の自由だ。
ワンシーン、ワンカットごとに、ぎゅっと濃縮されたような時間と、映画への想いが詰まった濃密な本作。ジュリエット・ビノシュの淡々とした演技の作法が印象的だ。緊迫したシーンと、その緊張を解きほぐす柔らかな映像とのバランスも素晴らしい。少なくとも、僕にとっては今年お気に入りの一本となった。

ユキト@アマミヤ