劇場公開日 2011年9月3日

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「オナニー晒す人と凝視する人」監督失格 12番目の猿さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0オナニー晒す人と凝視する人

2013年7月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

悲しい

――しあわせですか?
――うん、しあわせですね
かつての恋人との思い出のシーンを捨てたとき、平野勝之の絶叫は「ほんとう」のものになった。

 18歳でヤングマガジンのちばてつや賞を受賞し、将来を期待された漫画家であったにもかかわらず、突如漫画を捨て8ミリフィルム映画を自主制作しそれも処女作で受賞。その後AV業界に転じ、そこでも天才の名をほしいがままにしてきた平野勝之と、「最後の映画女優」といわれ、ピンク映画そのものだとも評された伝説的AV女優の故・林由美香(『たまもの』を観れば、その彼女の圧巻の演技に出会えます)との長年にわたる関係を描いたドキュメンタリー映画。『監督失格』という題名、また予告映像のくどいまでの平野の語り、そして庵野秀明プロデュースというふれこみから制作者達のオナニー感まるだしの作品と思いきや(確かにオナニーなのだが)、個人的には庵野秀明監督のエヴァンゲリオン以上に人類補完計画を完成させた作品であるという感想を持った。
 このドキュメンタリー映画は誠実な作品である。「誠実」という表現がやや陳腐であるとしたら、敢えて「ほんとう」の作品という言葉で形容したい。そこには、ドキュメンタリーにありがちな撮る側の企みが全く感じられず、平野勝之をはじめとする、林由美香にまつわる人たちの「ほんとう」の気持ちがつまっているからだ。そしてこの「ほんとう」は、平野勝之と林由美香との長年の関係、そして平野という男の根底にある、「ほんとう」への渇望によって担保されているのだろう(実際平野のこれまでの作品をざっとみるだけで、彼の作品が突き抜けようとする葛藤によって成り立っていることが分かる)。これらが非意図的に積み重なり、そして最後に庵野秀明の作為によって、この映画は「ほんとう」の作品となり得たのだ。
 この映画のあり方を象徴的に位置づけるのは、やはり林由美香の遺体を発見してしまった平野と林由美香の母親が狼狽するシーンだろう。私生活すらもカメラに差し出していた平野は、作品の前後すべてをカメラにおさめていたため、林のアパートへの訪問、彼女との連絡の取れない不審さをも撮り続け、ついには遺体発見までを偶然にも記録してしまったのだ。もちろん、林の遺体が出てきた時点でカメラを止めるのが普通で、人としてはそれが当然だ。しかし平野と林の長年の関係は、平野がカメラを止めることを許さなかった。彼らにはその必然があったのである。それは、映画の題名でもある「監督失格」キーワードに由来する。この言葉は監督の自意識過剰などではなく、林由美香がドキュメンタリーAV『わくわく不倫旅行』で自分と平野の恥部(しかし最も重要な)を撮り逃した監督に対し当てつけられたもので、いかなるときもカメラを回すべきであるというプロ意識からくるこの林の言葉は、この映画を「ほんとう」のものにし続ける遺言となった。この言葉を以てして、後半(前半は『わくわく不倫旅行』の総集編となっている)、まったく登場のないはずの女優は常にその存在感をフィルムに染み込ませるのである。さらに、この言葉が林由美香の死後、作品を撮れなくなっていた平野をつき動し、林由美香の母が自分の娘の死を記録した映像を世に出すことを認めさせたのだということを考えたならば、なんと不謹慎な幸運の結果にして、映画史上類をみない適切な題名だろうか。
 この映画は、最愛の女性と最高の被写体を失った男・監督の、喪失と再生の物語だ。ラストの平野の喪の作業は何とも単純で稚拙だが、数時間の限りなく「ほんとう」のこの映画を観た後、観客は平野の激走と咆哮によって、「ほんとう」の人類補完計画を目の当たりにするのである。
『わくわく不倫旅行』でウンコを食べちゃう林由美香の可愛さ(今作ではそのシーンはカット)、同作で大自然に囲まれた道路の真ん中でオナニーに興じる平野の愛らしさ(やっぱりカット)、由美香ママの寝た子を殺すような目つきの美しさ、アスファルトに染みる優しい雨を撮ったカンパニー松尾の涙の温かさ(このシーンが実は一番好き)、この映画の鑑賞後、AV業界への色眼鏡はあなたから強制的に取り外されることだろう。

しかし、どうも庵野秀明という男は相変わらず他人のオナニーに興味津々のようである。※相原コージ『一齣漫画宣言』あとがき参照

13番目の猿