劇場公開日 2011年4月29日

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「臨終の蝉よ世の美しさを唄え」八日目の蝉 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5臨終の蝉よ世の美しさを唄え

2011年6月5日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

幸せ

観よう観ようと思ってたのに何故か毎週都合が合わず、
公開から随分経ってようやく鑑賞。

さて本作、
現在と過去とが巧みにリンクする後半の畳み掛けは見事だが、
中盤やや冗長だったかな。
あと映画の雰囲気から浮いてる場面や人物がいる気がする。
特に“天使の家”のエピソードはちょっと異様な気がしたなあ。
(余貴美子が映画『サイレントヒル』のアリス・クリーグに見えた。怖い……)

けれど主人公の希和子と薫(この呼び名で統一させていただく)の
奇妙な絆には、心を強く強く揺さぶられた。

希和子のあの行為が正しいとはとても言えまい。
同情の余地はあれど、やはり身勝手極まりないと僕は思う。
だが彼女が娘に与えた愛情は、真っ直ぐで綺麗な本物だった。
人間てのは厄介だね。
薫の実父母もそうだったが、
単純に善か悪かで括る事ができない。

満天の星、夕焼け、広い海、暗闇の中の灯火、または歌、詩、絵画、
僕らはどうしてそれらに触れた時に“美しい”と感じるのか。
どうしてそこに、生きる事の価値を感じ取るのか。

理由は知らないし、知る必要があるとも大して思わない。だが、
世界には確かに“空っぽのがらんどう”な人生を
価値あるものだと信じさせてくれる美しいものがある。

そして誰もが、それを大切な人に伝えたいと考える。
この世はこんなに美しいもので溢れてる、と。
だから、
この美しいもので溢れた世界に生を受けたあなたは
決して無価値な存在なんかじゃないんだ、
空っぽのがらんどうなんかじゃないんだ、と。

僕は最初、『八日目の蝉』とは“特殊な境遇”に
置かれた薫の事を指していると考えていた。
しかし“蝉”とは希和子の事ではと考えた時に、
ようやくこのタイトルと物語がカチリと噛み合ったように思えた。

いつ果てるとも知れぬ娘との絆を必死に繋ぎ、娘にありったけの
“美しいもの”を伝えようとする彼女の姿は、
とっくに臨終の時を迎えた蝉が、
それでも死にもの狂いで生命を繋ごうと啼くイメージとダブるのだ。

どんなに辛い境遇に置かれた人間でも、
人生を価値あるのに換える美しい感情を
知ること・伝えることはできる。
愛し方が分からないと泣いた娘にも
それはしっかり引き継がれていた。

監督の前作と比べるとややまとまりが悪い印象を受ける本作だが、
それでもこの映画には、胸の奥底をズドンと揺さぶる感動がある。
良い映画でした。

<2011/5/28鑑賞>

浮遊きびなご