劇場公開日 2011年4月29日

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「映画制作者たちの罪」八日目の蝉 お水汲み当番さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0映画制作者たちの罪

2020年8月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

一人一人、大変なものを背負わされた人たちを丹念に描いた映画です。

ただ、おそらくは原作者の分身であるはずのライター(小池栄子)のご都合主義が描かれていないのが、たぶん作品解釈の限界なんだろうなと思いました。
だって、この作品は、一から十まで、このライターの都合によって作られた作品なのですから。

主人公の女の子(井上真央)にとって、幸せとはなにか。
それは、育ての親(つまり誘拐犯)のところに戻ることではないのかと、観る者は感じます。

ところが映画では、主人公が育ての親の写真にめぐり合ってオシマイ、となっています。

写真と出会った後にこそ、本物のドラマが待ち受けているはずなのに、どうして尻切れトンボで終わったのでしょうか。

映画のなかでライターが告白しています。
主人公に対して彼女がきわめて特殊な感情を抱いていることを。

この感情に流されてしまって、ライター本人には、主人公の気持ちが読めなかったのでしょう。
そして、語り手側のこの特殊な事情を、映画の制作側もまた見落としていたのでしょう。

ライターは、小豆島での写真発見のシーンまでは、主人公を心理的に支配下に置こうとする行動をしています。

しかし、この写真の発見をきっかけにして、主人公が育ての親を探し始めたなら、ライターはせっかく確立していた心理的支配権を放棄する方向に頭を切り替えざるを得ません。

主人公の幸せを探すなら、それがライターにとって唯一の方法ですが、これはライターが自分自身を高度に客観視できていなければ出来ないし、書けない話です。

だから、映画のシナリオライターも書けなかったのだろうし、もしくは気がつかないふりをしたのでしょう。

ここにこそ、主人公・ライター・誘拐犯三者に重層的に奏でられる、最高のドラマの材料が詰まっているはずなのですが……。

永作博美(誘拐犯)も井上真央も熱演で、佳作であっただけに、尻切れトンボ感が非常に残念でした。

お水汲み当番