劇場公開日 2010年2月20日

「昭和ロマンを伝える重厚かつスタイリッシュな映像と琴線に響く美しい旋律が余計に印象に残った作品でした。」人間失格 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

2.5昭和ロマンを伝える重厚かつスタイリッシュな映像と琴線に響く美しい旋律が余計に印象に残った作品でした。

2010年2月22日
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鑑賞方法:映画館

 本作のテロップ最後の文言には、主人公の大庭葉蔵は太宰であると宣言して、この名作を後世に語り継げなければならないと訴えています。そんな文言を大上段に宣言し、さらに製作指揮に角川歴彦御大が名乗り出て、角川グループが総力を挙げて取り組んだ文芸大作となりました。

 確かに、原作『人間失格』は、主人公の語る過去には太宰自身の人生を色濃く反映したと思われる部分があり、自伝的な小説であるともみなされてきました。
 従って、葉蔵の役作りにおいて、何処か太宰を暗示させるものが必要であり、どうして太宰は酒におぼれ、死に急いだのか。太宰の内面に対する深い考査が監督には求められると思います。
 ところが本作は、葉蔵の内面描写が浅くて、単なる無気力な青年にしか、見えてきません。原作では、葉蔵の閉鎖的な人格を、人とは違う感覚を持っており、それに対して混乱し発狂しそうになるとはっきり明記されているにもかかわらずです。原作の物語は、面白おかしくおどけてみせるばかりで、本当の自分を誰にもさらけ出す事の出来ない男の人生を、3つの手記で著されています。
 その中で、「道化」が重要なキーワードになっているのに、少年時代に体育の授業で、わざと失敗するシーンで「道化」に触れたことにしてしまって、成人してからは、訳も分からず消沈し、逃避しようとする姿しか描かれていないことに疑問を感じました。
 さらに太宰文学の魅力は、単なる絶望に打ちひしがれる根暗さばかりではないことです。自ら破滅に向かっている主人公のなかに、希望への強いメッセージが込められているところが深い感動を呼び起こしてきたのです。
 その点を根岸吉太郎監督は、『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』のラストで印象深いシーンとして挿入したものでした。太宰の理解は、根岸監督のほうが数段上といえます。
 ついでに言えば、生田斗真は本作で、妻の不義密通が分かった後の苦悩ぶりなど、難しい役どころに果敢に挑戦してますが、経験不足は否めません。『ヴィヨンの妻』での浅野忠信と比べたら、その道化ぶりに格段の違いが出てしまいます。

 本作でも、仕掛けるとしたら後半の鉄との絡みのシーンだったと思います。父親の愛人だった鉄は、麻薬中毒となった葉蔵の世話係となります。鉄は葉蔵に愛した男の姿を感じ、あるときはひとりの女として求め、あるときは義母として慈愛に包み込んだのでした。 このシーンで、もっと葉蔵の救いと希望が語られるべきでした。
 但し、鉄を演じている三田佳子の演技は、凄いの一言。なにも語らなくても、狂おしいほどの鉄の心情を演じていました。これは一見の価値があります。

 それ以外は、不満一杯。突っ込み処満載で、きりがありません。
 だいたい中原中也を架空の設定で引っ張り出すのなら、太宰VS中原の息の詰まる人生観の邂逅があって然るべきでした。それが、線香花火の乱舞や花吹雪などシンボリックな映像で抽象的にごまかしたようにしか思えませんでした。
 中也は精神に支障をきたし、千葉県の療養所に入院したことがあるので、本作はどうも中也と芥川をごちゃ混ぜにした可能性があります。
 真摯に人生の真実を求めていた中也に対して、本作に登場する「森田」中也は、悪ガキみたいな印象でした。ジャニーズなんて使わなくて、もっと中也に迫れる俳優はいたはず。

 悪友堀木との関係も、何で堀木は葉蔵を憎んでいたのかすっきりしませんでした。また葉蔵の女性遍歴も唐突すぎで、何で出会って親密な関係となったり、すぐ別れたりするのか、過程が省かれているためよく分かりません。

 全体を通して、余計な説明をぶった切るシュールな展開が荒戸監督の持ち味なのでしょう。但し、観客としてはあまりに強引に場面が次々変わって筋に置いて行かれては、消化不良になります。

 昭和ロマンを伝える重厚かつスタイリッシュな映像と琴線に響く美しい旋律が余計に印象に残った作品でした。

流山の小地蔵