劇場公開日 2009年4月18日

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「悶々とした気持ち」おっぱいバレー かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5悶々とした気持ち

2009年10月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

楽しい

自ブログより抜粋で。
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 原作小説から時代設定を変更してノスタルジックな方向に振ったのは正解だと思うが、ただそれに頼りすぎな感も。
 時の流行歌に乗せて、深夜テレビ番組の『11PM』やエロ本といった、かつて思春期だった男性諸氏には大いに心当たりがあるだろうエピソードが繰り広げられて、確かに楽しいし、懐かしい。
 しかしそういった小道具が時代の背景にしかなっておらず、作品の軸であるはずの思春期の男の子が抱く“性への興味”にいまひとつ結びついてこないのだ。
 平たく言えば、良くも悪くもまるでエロくないのよ。

 演出的に「イヤらしくしたくない」という気持ちが強すぎなのがありありで、コメディ的なオチがつく『11PM』のエピソードはともかく、エロ本はそれっぽい表紙が映し出されるだけで決してページが開かれることはない。
 今のご時世そのものずばりの過激なヌード写真を見せろとまでは言わないが、エロ本を開く瞬間のドキドキ感こそが思春期そのものじゃなかったのか。

 また女の子のことで頭がいっぱいの男の子たちが、普段目にしたことのないレオタード姿の女子生徒たちを目撃するシーンがあるが、そんな男の子たちにとっては夢のようなその光景を目の前にしても、彼らの視線を代弁するカメラは、ほとんど“引き”の構図ばかりで、ついぞ肝心なところをアップにはしてはくれない。これとて年頃の男の子の視線のやり場はそんなもんじゃないだろうと言いたくなる。

 エッチ描写が足りないとばかり主張していると変な誤解をされそうだが、主役に綾瀬はるかがキャスティングされている時点でイヤらしい映画にならないことは、はなから了承済み。そんなことに多大な期待をしていたわけじゃない。
 ただね、エッチ描写の件は一例として、おっぱいに夢中になる男の子たちの、彼らなりの一途さが描き切れているとはとうてい思えないのよ。
 つまり、青春映画に成り得てない。

 たとえば、なんだか一悶着ありそうな“幼なじみの同級生の女の子”(小島藤子)も登場するのだが、これがまた“幼なじみ”である必要性があまり感じられない。
 彼女視点での揺れる乙女心は一応描かれてはいる。しかし、男の子目線からは、そんな身近な女の子に“大人の女性”への成長を垣間見るのもまた、思春期の一ページだと思うのだが、そういった描写はまるでないままに終わってしまう。

 文句ばかり並べてしまうが、そういった不満が次々と湧いてしまう理由は非常にはっきりしていて、それは思わせぶりなタイトルでありながら実はエッチじゃないからというより(もちろんそれもあるが)、この映画が思春期の男の子たちのドタバタを描いた青春映画のフリをして、実は美香子先生の成長ドラマであるという、表面上の展開とドラマ的な軸とがうまくかみ合っていないから。

 その美香子先生の成長ドラマは、わかりやすい伏線から想像できる範疇ではあったが、それ自体は泣かせるとてもいい話で申し分ない。
 ただ、なんだか「イヤらしくしない」という大命題の元で、その方向に踏み込めない分を補うための過剰演出のような気がしてならなかった。

 思えば羽住監督の過去の作品では、一部の批評家筋や映画通からは嘲笑されることもあったが(自分は嫌いではない、大いに肯定している)、一貫してそのばかばかしいまでに弾けきった熱い青春描写が持ち味だったのに、本来その才能が遺憾なく発揮されるはずの本作では、この題材のばかばかしさを寸止めにして煮え切らない作品になってしまったようだ。

かみぃ