フランケンシュタイン(1931)のレビュー・感想・評価
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今の人が認識しているフランケンシュタインの怪物
メアリー・シェリーが原作の小説を書いた時代は女性が創作活動をすることもホラー作品も受け入れられない時代であった。
そんな中でも原作を書き上げたメアリー・シェリーは作品になんらかの想いを込めたことだろう。世間に受け入れられない怪物に自身を含めた全ての女性が重なったであろうことは容易に想像がつく。
メアリー・シェリーはフランケンシュタイン博士が生み出した怪物の物語をホラーだとは思っていなかったと思われるが、読んだ者は恐ろしい物語だと認識したようだ。
そして本作である。もうただのゴシックホラーとなってしまって、メアリー・シェリーは悲しんでいることだろうが、この作品が後世に残した功績は大きい。
なぜなら、今の我々が認識しているフランケンシュタイン博士の怪物は、この作品の怪物だからだ。
物語も、怪物の見た目も、ボリス・カーロフが演じた動きも、今の人はほぼ全て、これがフランケンシュタインだと認識している。
それだけこの作品がインパクトのあるものだったことを表す。
映像の粗さなど問題はあるものの、それなりに面白く観られることも素晴らしいと思う。
ホラーとして娯楽作に徹するために、余計な情感を込めなかったのが良かったのかもしれない。博士にも怪物にも。
悪く言えば、尺が短く「軽い」作品ではあるけれど、これはこれでいい。
【90年以上前の作品であるが、墓場から複数の死体により作られた怪物の不気味さ、漂う雰囲気。そして、哀しき怪物の暴走する姿など、一見の価値ある作品。】
■永遠の生命を追い求めるフランケンシュタイン男爵の息子、ヘンリーは、墓場を掘り返し
て得た、いくつもの死体を組みあわせて人造人間を造り上げることに成功する。
だが、その頭蓋に収められていたのは、殺人者の脳だった。
蘇った死体は怪物と化し、憎悪を滾らせ、博士や民衆に襲い掛かる。
◆感想
・特殊技術が進んだ現代に観ると、特殊効果や炎、効果音などアナログな演出が余計に恐怖や異様な雰囲気を感じさせる作品である。
・因みに、怪物の名は特になく、”フランケンシュタイン”とは怪物を作ったフランケンシュタイン男爵の息子、ヘンリーの苗字から取られている。
<数年前に、ゴシック小説「フランケンシュタイン」を書いた、メアリー・シェリーの数奇な人生をエル・ファニング主演で描いた「メアリーの総て」を鑑賞してから、観たかった作品である。
資料を観ると、大ヒットをした作品だそうだが、90年前のホラー映画の定義もない時代ににこの作品を劇場で観たら、そりゃ怖いだろう、と思った程の異様な雰囲気に包まれた作品である。
怪物の顔も、或る年齢層以上であれば”これぞ、フランケンシュタイン!”と言うあの恐ろしい顔で、演じたボリス・カーロフという方も、世界に名を馳せたそうである。
そりゃ、そうだろうなあ・・。>
幼い子、フランケンシュタイン。
「メアリーの総て」鑑賞後、女性作家メアリ・シェリー19歳当時の作品ということに衝撃を受け、このたび映画鑑賞。 さらに映画で衝撃を受けることになる。
フランケンシュタインという名前が、創造者の博士の名前であって、大男には名前がなかったこと。突然この世に生を受けた大男は、純真無垢の赤ちゃんと同じであったこと。
見るものすべてに興味を持ち、喜びもし、悲しみもし、怒りもする。そんな赤ちゃんの彼を周囲の大人は誰もわかってくれない。
勝ってに創造し、手に負えなくなったら抹殺する。
悲しい彼の姿が原作者メアリ・シェリーと重なり、現代の幼児虐待にも重なり、やりきれない気持ちになった。
涙が止まらない。
名もなき怪物はどこへも行けない
なんて悲しい映画なんだろうって感じました。群衆たちは迷いなく怪物を追い込み、迷いなく怪物を殺しにかかります。そこには名づけられていないものへの不安があります。そしてその群衆の迷いなさによる一体感は彼らを没個性へと押しやっているのに、そうした彼ら自身はそのことに無自覚です。こうした無自覚さゆえの疎外の恐ろしさを感じさせる映画でした。人は名づけられないものには脅威を感じ、それを排除しようとするんだな、と。
映像はとてもとても素晴らしいものでした。映画の伝説を見ているかのような気持ちでした。少女との邂逅のシーン、追い込まれる風車小屋のシーン、いずれも脳裏に焼き付きます。
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