劇場公開日 1997年12月13日

「悔しさを噛みしめる」セブン・イヤーズ・イン・チベット redirさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0悔しさを噛みしめる

2022年9月18日
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鑑賞方法:VOD

公開当時に映画館で見たはず。子どもの時からチベットやチベット文化圏に異様に惹かれて興味があったが、この映画を見たときは本で読んだチベットの不幸な現代史の具体的イメージを得ようと楽しみというか、大変興味があった。チベットでこんな映画作れないのにどうやってどこで撮影したのかと不思議だったが本で読んだことがわかりやすく映像となっていて感動した。当時はまだチベット亡命政府にもダライ・ラマにも今より希望がわずかでも残っていた。
後日南米アンデス山脈で撮影ときいた。なるほどと思った。
時を経て、2022年、チベットが奪われた時よりも、この映画ができた時よりも、はるかに中国は強大となり容赦なき弾圧抑圧文化歴史抹殺民族浄化的なことも行われているだろうしこの映画の侵攻シーンや中国の軍人が砂曼荼羅を靴で踏み破壊するシーンからだけでも、疑う余地はない。
アンデス、エンドロールにアルゼンチンとあるが、撮影地を知りこの間数々の本を読みチベット映画も見てきた今、再度鑑賞するとやはり南米インディオのエキストラさんたちが気になる。
それにしても、若いブラッドビットがやんちゃな風貌で身勝手な男を演じ彼の子を捨て子に捨てられ性格と素直でないから孤独に悩む、子どもであるダライ・ラマとの対話の中で漠然と想い思い出す息子のこと、その話の方はたいして興味ないけど、行きがかり上、涙脆い自分はうるっとくるシーンもある、それはハリウッド映画でありブラッドビットの若さ、よさによるものなのだろうけど、チベット、チベットの人々に起こった数々の悲劇は憤慨こそすれ涙が出るなんてレベルは軽々と超えているのだ。
昨日起こったことは今日に鳴れば過去であり、歴史である。
起こってしまったこと、歴史に対する身も蓋もない、すがるものもなく取り付く島もない、行き場のない後悔とでもいうようなものにとらわれる。今なお、というより今はさらにひどく、それに対してチベットの人も世界の人もほとんど実効的なことはなにもできない。
ロケ地以外の、チベット的なものはかなり正確、誠実、精巧に作られたり撮られていて、多くのリンポチエたちが出演や監修をしており、取り返しが付かない後悔に対し、フィクションとはいえこのような映像作品が残っていることは有り難いと思う。
幼児時代、少年時代のダライ・ラマがとてもよいしツァロンもそのような方であったのではないかと思う、とてもよい。

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