シェーンのレビュー・感想・評価
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やっぱりラストシーン
アランラッド扮する流れ者シェーンは、ブランドンデワイルド扮するジョーイスターレットのところへやって来た。ジョーイはシェーンにライフルを見てもらいたかった。ライカー一味がスターレット家に出て行けと言って来たのでシェーンはスターレット家に滞在することにした。
けんかはいいけど店がめちゃくちゃだね。この映画はやっぱりラストシーンのシェーン、カムバッ~クと言うジョーイの透き通った声が全てだね。
シェーン、カムバーック‼️
この作品は世界最高の西部劇の1本ですね‼️日本で言えば時代劇の股旅モノ‼️シェーンはある村のある一家に滞在し、彼と村を襲う無法者を倒し、そして去っていく・・・とにかく全編にわたってジョーイ少年のシェーンに対する憧れが溢れていて、ほのぼのとさせられるというか胸が熱くなります‼️グランド・ディートン・マウンテンズの大自然の美しさ、そしてあの有名なテーマ曲が流れる‼️ジョン・フォードの「荒野の決闘」に並ぶ詩情性ですよね‼️そして当時の開拓民たちの生活風景や酒場での大乱闘、シェーンとウィルソンの "0.6秒" のガンファイトといったリアリズム‼️とにかくシェーンのガンプレイが早い‼️私もたくさんの西部劇を観てきましたがアラン・ラッドが歴代ナンバーワンでしょう‼️これからも何回も何回も観たい作品ですね‼️ところでこの作品には都市伝説が二つ‼️冒頭、シェーンが初登場するシーンで小さくバスが映っているらしい。初見時に観たような気がしたので、Blu-rayで確認したら映ってない。CG処理されたか❓そしてラスト、去っていくシェーンが既に死亡しているという説‼️シェーンのラストカットを観るとうなだれているようにも見える‼️まぁこれは観る者の判断に委ねるということですか・・・
古典の名作。感動のラスト
あの有名なラストシーン。
今となっては、自分を誰に投影してこの映画を見るのか、それによってずいぶん見え方が変わってくる映画だろう。
私なら、影の薄いダメ亭主か。。。
昔は、シェーンにあこがれる幼い少年の目線で見つめていたが、もうそんな年でもないし。
最近「ROGAN」というアクション映画で、オマージュされていたが。
なぜかSF映画好きには縁の深いアラン・ラッドつながりだろう。
それにしても、昔の映画って、悪役が憎たらしくてはっきりしてたな。
2017.11.29
『大草原の小さな家』の本当の姿だと思う。
先住民(原住民)から奪い取った土地を奪い合うそんな話。『大草原の小さな家』の本当の姿だと思う。アメリカが銃社会になっていった理由がよく分かる。まぁ、それは兎も角。ロケ地の美しさが良いので、それだけは評価する。
子供の頃見た時、ジャック・パランスのあっけない死に様が心動かされた。サンダース軍曹に殺されるドイツ兵みたいに。
ヤンク(北軍)はヤンキーの事か!元北軍が南軍を侮蔑して殺す。何を意味しているのか?
誰よりも弱い男たち
土地権利者vs開拓者という構図で繰り広げられる仁義なき領地争い。既に多くのレビューで指摘されている通り、この構図からはネイティブ・アメリカンの存在がまったく欠落している。
これを都合のいい歴史修正主義と断じることも可能だが、それよりはむしろ、ネイティブ・アメリカンの記憶が全く背景化してしまうほどに熾烈な領地争いが今も連綿と続いていることの示唆としての側面が強いように私は思う。
さて、領土をめぐる各々の思惑はもっぱら男たちの暴力によって代弁される。自らの生活を墨守する手段として認可されたこの暴力は、男たちの間で唯一無二の価値として崇め奉られる。喧嘩が強いとか、銃を持っているとか。
しかし暴力はいつしか手段から目的へと転じていく。酒場での殴り合いのシーンで血まみれのシェーンとジョーが交わす微笑には、暴力に対する恍惚的な満足が明らかに萌していたといえるだろう。
そんな男たちとは対照的に、女たちは「こんな土地捨てて逃げましょう」と哀願する。しかし男たちはそれを聞き入れようとしない。適当な理由をつけて女たちを土地に束縛する。なぜなら暴力を捨てて土地から逃げ去ることは男というコードから降りることに他ならないからだ。
暴力は加速の一途を辿るばかりだ。しかし誰もが男のコードから降りようとしない。というか降りられない。マッチョイズムの不毛なチキンレースは遂に死者さえ出してしまう。
何事も暴力で解決しようとする男と、男の暴力によって口を塞がれる女。その圧倒的な力量差は男vs女という二項対立の可能性すら無効化してしまう。もはや誰も暴力を止められないのか。ここで印象的な役目を果たすのがジョーイ少年だ。
ジョーイ少年は子供だが、そうであると同時に男でもある。したがって周囲の男たちの暴力性にうっすらと憧憬を抱いている。しきりに銃を欲しがったり、酒場の殴り合いに興奮したり。彼が最も尊敬していたのは、男のコードの最上位に君臨するシェーンだった。
シェーンは強い。喧嘩の腕も射撃の才能も並外れている。ジョーイ少年は彼のそんな「男らしさ」を羨望し、シェーンもまた彼に「男らしさ」を伝授しようとした。
しかしシェーンは自分が密かに想いを寄せるジョーイの母親が反暴力を訴えて泣いているにもかかわらず、お構いなしに「射撃ごっこ」に明け暮れるジョーイ少年のことを見て、暴力に対する反省の視点を得る。
無垢な子供であるジョーイ少年が暴力にまみれた男のコードに足を踏み入れようとしていることの危うさに、彼はそのとき気がついたのだ。
シェーンは誰の力も借りず、たった1人で土地権利者の溜まり場に赴く。そして殺し屋共々皆殺しにする。もはや引き下がれない境位にまで暴力に染まりきっていた彼には、そうする以外にジョーイ少年を「男のコード」から引き剥がしてやる術がなかった。彼はその一身にすべての暴力を引き受けたのだ。
そしてその呪われた身体ごと永遠に土地を去る。
シェーンは今生の別れを惜しむジョーイ少年に「もう銃は必要ない」と教える。長きにわたる暴力の独裁が、今まさに終焉を迎えたのだ、と。
そして彼は馬に乗ってどこかへと消えていく。「カムバック!」というジョーイ少年の悲痛な叫びに背を向けたまま。
私はこの映画を見て『真昼の決闘』を思い浮かべた。倫理を主題化した西部劇として、本作と『真昼』はきわめて存在感が大きい。『真昼』は主人公の孤独なダンディズムを妻の介入によって不恰好に阻止することを通じて、西部劇における男性中心主義の部分的解体に成功していた。
これらの作品に共通するのは、「子供」とか「妻」とかいった全き外部性によってしか自らを他者化できない男たちの弱々しさだ。そして暴力はそのフラジャイリティを隠匿するための言い訳に過ぎない。
本作において暴力は、男の力強さを誇示するどころか、むしろ男の根本的な弱さを露呈させるものとしてアイロニカルに描画されているといえる。
手に入れたかったもの
有名なラストシーン。
そこから、母子家庭を助けて去るハードボイルドだと思っていたら、全く違った。
主人公からして違う。ジョン・ウェイン氏系のごつい男だと思っていたら、なんと頼りなげな甘いマスク…。もう一人は、日本だったら悪役か、エキストラ系の眉毛繫がり男。(かわいいと思い込んでいた)男の子はドングリ眼だし…。借りてきた映画を間違えたかと思った…(笑)。
領地争い。
この土地は誰のものか?って、「ネイティブ・アメリカンのものだよ」という正論は、映画が製作された時代的に、なかったことになっている。
当時凶暴なということにされている”インディアン”を追い払い、それなりの安全を確保したカウボーイたちが、後から来た農場主に土地を奪われ…(自分たちがやったことをやり返されているだけじゃないかというツッコミは置いておいて)。
とはいえ、農場主は農場主で、新しくできた法律に基づき、その土地を開墾しているのであって、違法なことをしているのではない。
国を発展させ、移民してきた人々に生活の糧を与えるためとはいえ、なんという無茶苦茶な法律を作るのか。そして、その法律を機能させるための、政府のアフターフォローはない。すべて自分の力頼み。
自分と家族を守り、夢をかなえるのは自分の力。アメリカン・スピリットの権化のような一家が、この映画の本当の主人公。そして、その家族に加担する風来坊。
硬直した事態がどう動くのか。
どっちの言い分も決して間違っていない。そして、どちらも自分の主張を譲らない。
広大な土地。とはいえ、元々作り出さずに、その土地にあるものを使って生きる放牧民には、想像以上の範囲の土地がいる。開墾組の農場主にとってだって、土地ならばどこでもいいわけではない。禿山を何ヘクタールももらっても意味がないように、耕作に適した土地でないと意味はない。それだって、汗水たらして開墾しないと…。
だから、お互い必死なのは必然。
とはいえ、交渉はしてくるが、オール オア ナッシング。すべてを手に入れるか、そうでないかだけ。譲り合い・分かち合い等の、共存の道を探るという選択肢はない。農場主は権利の主張だけで、交渉すらしない。
これがアメリカの原点?
シェーンの活躍を描くだけの映画ではない。
スターレット一家の決意と苦渋。それが本筋。
だから、終盤、スターレットとシェーンの殴り合いが長い。シェーンを格好よく見せるためならば、一発でのしてしまえばいいのだが、アメリカン・スピリットを体現するスターレットをそんなに弱く見せるわけにはいかない。
映画としての見せ場であろう、ラストのガンファイトより長く感じる。
その、シェーンとスターレットの殴り合い場面の見せ方がおもしろい。
正直、シェーンを演じたラット氏は大根役者。また、アクション監督はいなかったのか、この場面でも、他のシーンでも、アクションの見せ方はうまくない。
だからかどうかは知らぬが、ここの場面、殴り合い場面はあまり見せない。家の中から、妻が心配して叫んでいるシーンで見せきる。
そんな風に、直球ではなく、演出で見せてくれるシーンが幾つかあり、面白い。
(馬に追いつくジョーイの健脚みたいなツッコミどころも多数あり。ラストシーンのために目を瞑ろう)
--蛇足:しかし、主演はなぜラット氏なのか。ガンマンとしての立ち振る舞いも様になっていない。フリンジのついた衣装やガンベルトにも着られているように見える。
特に、バランス氏が登場してからは、バランス氏が決まりすぎて、どうしてもラット氏のアラに目が行ってしまう…。
バランス氏に比べて、ラット氏の泥臭さが、スターレットの仲間として良いのか?確かに、バランス氏が開墾しているところは想像できない…。--
ラスト。シェーンが立ち去る理由に死亡説があると知る。
う~ん。死ななくても、戻ってこなかったと私は思う。だって、農場を去るとき、作業服ではない元の服を着ているよ。妻とお別れしているよ。スターレットをのして行ってはいるけれど、ある意味、スターレットの顔つぶしているよ。
そしてシェーンの台詞「人を殺したら~(思い出し引用)」。自分の行動への覚悟。
死を覚悟して敵地に赴くシェーン。
袖すり合うも多生の縁、というだけではなかろう。
自分の命を懸けてまで、安住の地を捨ててまで守りたかったもの。
そもそも、草鞋を脱いだのはどうして?同じ風来坊ながらも、『用心棒』の桑畑三十郎とは違う立ち位置。
スターレット家への想い。妻へのほのかな思いもあろうが、それだけではないのではなかろうか。
お互いを愛しみ合う家族。暴力のない暮らし。自分の技を継承してくれる存在。シェーンがつかの間に得た生活。
シェーン、スターレット、ライカーがそれぞれ、手にしたかったもの。その方法。そして、彼らの去就。
人の道・法に基づき行動したスターレット VS 人の道・法を超えてしまったライカーとシェーン。
暴力による支配の終焉。
シェーンの背中の寂しさに、胸を揺さぶられる。
4回目の視聴です 自宅で買ったばかりのプロジェクターで初使用の記念...
4回目の視聴です 自宅で買ったばかりのプロジェクターで初使用の記念に80インチの大きさで見ました 初めて見たのは高校生の時、塾の先生のお薦めで家族そろってリバイバルを見に行ったのを今でも覚えているくらい感動しました 改めて今回見たけれど結構忘れているシーンはありました ジョーイがシェーンと父親がけんかをしたとき、シェーンが鉄砲で父親を殴って倒したとき、「シェーン大嫌い」と言ったことは完全に忘れていました その後の展開は覚えていたけれど、やっぱり景色はきれいでラストシーンではわかっていてもうるうるくるくらい印象的でした このラストシーンがなかったらこの映画の評価はどうなったのかなんて思ってしまいます 死ぬまでにもう一度見たい映画です
古い映画は良いね
まず奥さんの美しさにうっとり。この時53歳?驚くほど若く綺麗。シェーンも凄いイイ奴!!シェーンはたまたま通りかかったある開拓者の家族と仲良くなります。そして大好きなその家族の為に、ひと肌脱ぐのです。マリアン(母)がジョーイ(息子)にシェーンを好きになり過ぎないで!と注意するシーンがあるが、それは同時に自分にも言い聞かせているようにも思える。彼が決闘に行きたいジョー(父)を止めずに居たらひょっとするとマリアン、ジョーイと家族になれるかも知れないのに。シェーンはとても情に厚く、義理堅い。時々アップになる息子の表情がまた可愛い!
登場人物みんな良い人だったしそれぞれの気持ちに感情移入出来たので、とても切なくジーンとくる良い映画でした!ラストでジョーイが「シェーン!!」と何度も叫ぶのですが、耳に残って離れません!印象的なシーンです。
ガンマン、転職を考えてみた
どこから来たのか、
過去に何があったのか、
どこへ行くのか、
何も語らないShane。
Marianは死んだ奥さんか恋人に似ているのかなぁとか、
Starrett家が彼の理想像に近かったとか、
Shaneの心の内を妄想してみたり(*^_^*)。
Shaneに惹かれるも毅然とした態度を崩さないMarianに対し、Shaneと銃への強烈な憧れを隠しもしないJoey。
Shaneに焼きもちを焼く所か一目置いているような、少しお人好しで責任感が強く、愛妻家のJoe。
そんなStarrett家を愛するが故に、身代わりとなり去っていくShane!
ガンマン時代の終焉を描いた西部劇は他にもありますが、謎めいた優しい微笑みを浮かべる主人公からは、一際哀愁が漂います。
早撃ちの名手だけれど、拳の喧嘩となるとそれなりに殴られるShane。どこからともなくやって来たスーパーマン的助っ人ではない点が良いです。
たとえ分が悪くとも、正面から戦わずして逃げるのは恥だという開拓者根性、幸せな家庭こそ全てであり、家族を死守する剛健な気性を美徳とする内容でした。
更にこの作品が単なる西部劇では終わらない所に、長年評価される魅力があるのだと思います。
その土地は誰のものなのか。
先着順ならば、とうに順序は狂っている。
では、力尽くで土地を奪い、他人を排除した者が支配するのか。
それとも自衛に徹し、根気強く定住した者が勝ち取るのか。
開拓者側に愛国的な独立心を反映させていますが、かつての開拓者だった牧場主にも彼なりの言い分があります。そもそもそれはアメリカの建国に関わることであり、一筋縄ではいかない問題が見えてきます。現代なら、少し移民問題にも通じる気がします。
決定的なのは、よそ者を排除する手段で、禁断の一線を越えてしまうかどうか…。
先祖達は確かに武力で多くの土地を奪った。
しかし法治国家となった今、
ひとつ確実に言えることは、
人を殺めた者に安住の地はないのだ
とShaneの生き様が語っているようでした。
.....それにしてもJoey君、最後に走った距離からして、相当な体力の持ち主だね(^ ^;)。
“I gave up my independence 10 years ago today, but no man ever gave it up as easy as I did. And what’s more, I wouldn’t trade places with any man in this world.”
こんなこと言われたら幸せだよなぁ。
結婚は男の非独立記念日!(^。^)
“There’s no living with a killing.”
何度観ても感動する西部劇の傑作。 シェーンと子供の別れのラストシー...
何度観ても感動する西部劇の傑作。
シェーンと子供の別れのラストシーンはあまりにも有名だけどそれと同じぐらい出会いのファーストシーンも大好き。決闘シーンの拳銃さばきも見事。名作の中の名作。
ざ!西部劇!という映画
DVDにて。西部劇の金字塔とのことで鑑賞。
確かに名作。
荒野の大草原での美しい風景。汗水流して働く農民の生活。当時の既得権益であるカウボーイ。既得権益であるカウボーイと、新興勢力である農民との間の交渉。酒場。得体の知れない殺し屋。男と男と女の三角関係。個人の利益を超えた友情。そして決闘。全部盛りみたいな映画だった。
シェーンや農民たちの大人な男としての振る舞いが最高にカッコいい!自分の子供が男の子だったら見せたい映画でござる。まぁバカなクソガキにはこの映画の良さは分からねーだろうがw
男の背中に漂う哀愁
総合70点 ( ストーリー:60点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
南北戦争が終わり米国にも近代化と法治がある程度浸透しつつも、まだ地方では治安維持が確立していない微妙な時期。悪い地主とそうじゃない人との対立を描いた平凡な物語。
銃使いとして生きてきたであろうシェーンの、銃を封印して新たな生き方を模索するけれどもやはりそうはいかず一人旅立つ流れ者人生に哀愁が漂う。物語はよくあるものでも、この振り返らない男の哀愁の後姿にやはり得点をつけてしまう。シェーンはどのような人生を歩んできて、今後はどこに向かうのだろうか。
独立記念日の場面で一部本物ではなくで撮影所での作り物の美術での撮影は質が下がる。ここは普通に外で撮影で良かったのではないか。
シアタス調布にて観賞(午前10時の映画祭)
スクリーンで改めて観てみると発見が多かった。
悪人サイドが意外に法律遵守にこだわっており言い分に一理はある点、銃声の大音量など。
ラストシーンも死の匂いがプンプン。
やはり丁寧な造りだが、個人的には少しスケール感が欲しかった。
ジャック・パランス扮する死神のようなガンマンが一番印象的。
とてもよかった
大昔テレビで見て、すっかり忘れていたので新鮮だった。シェーンがそれほどスーパーマンでないところがいい。お父さんと一緒に顔に傷を作っているところがよかった。超絶に強いよりも殴られてそれでも立ち上がって戦う姿が素敵だった。敵の早撃ちのガンマンもかっこよかった。またそのうち見たい。
テーマがはっきりしない
「ここは開拓地、誰でも土地が持てる」
…って元々インディアンの土地だからね。
でもインディアンを奥さんにしてる家族もチラッと出てくるんだよね。
「人を一度殺したら二度と戻れない」
「シェ〜〜ン、カンバック」
…アメリカ人の銃礼賛映画のような、
そうでないような。
ずっと現代に置き換えて観ていたが、警察(保安官)がいない間の治安の維持ってどうするのか…って、今はまずないだろうし、 興味が湧かない。
映画としては、絵は全体的に綺麗だが、
後半は何で画面が真っ暗なんだろう?
フィルムのミス?
結婚記念日のシーンは明らかにセットで苦笑。
クリスの改悛ももう少しそこまでの描写がないと唐突。
奥さんが年配過ぎておばあちゃんに見えるのはキャストミス。
これじゃシェーンは惚れないよ。
旦那が奥さんに、お前はシェーンに惚れてるんだろうから一緒になれ、みたいなシーンが情けなくて可笑しい。
しかもその後二人で殴り合うし。
結局取られたくないんだね。
まあ古典というか、昔の映画です。
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