劇場公開日 1991年3月9日

「マフィア映画の罪禍と落とし前」ゴッドファーザーPARTIII 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5マフィア映画の罪禍と落とし前

2022年7月16日
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「ゴッドファーザーは1と2だけ見ればいいよ」などと吹聴してきた奴が過去にいたのだが、お前みたいな奴はもう映画を見るなよと憤ってしまいたくなってしまった。それほどの傑作であり、欠かすことのできない画竜点睛だったと思う。

ひとたびその闇に飲み込まれてしまった者は、いかなる手段を講じようとそこから逃れ出ることはできないのだというマフィアの運命性が神話的色調の中で丁寧に雄大に歌い上げられる。

『仁義なき戦い』の脚本家として有名な笠原和夫も確か同じようなことを言っていたが、マフィア映画やヤクザ映画というのは破滅することにこそ美学がある。そしてそれはもっぱら「主人公の死」によって表現される。『暗黒街の顔役』も『スカーフェイス』も『昭和残侠伝』も『ソナチネ』も全部そうだ。

しかし一方で本作のマイケルには死すら与えられない。死という唯一の美さえも彫琢してもらえぬまま、ひたすら引き伸ばされた空白の人生を虚ろに漂い続ける。

敵や上司、果ては兄や妻に至るまで、常に他者を蔑ろにし続けてきたマイケルにはこのような最期が相応しいし、彼自身もそれを甘んじて受け入れているのではないかと思う。またそのような彼の自罰意識は、作品全体に漂うカトリック的世界観とも合致している。

マフィア映画やヤクザ映画が「死」を描写することによって都合良く逃れてきた罪禍を、神経症的なまでに抱え込み続けることによって本当の「落とし前」をつけた映画が本作だといえる。

因果