劇場公開日 1952年10月9日

「人間への信頼」生きる(1952) Raspberryさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0人間への信頼

2023年5月13日
iPhoneアプリから投稿

死の宣告を通して、平凡な(死んだように生きていた)人間が愛の行為者に変身する姿を、切実に丹念に描いた名作中の名作。

人間としてどう生きるか?生をどう受け止めるか?尊厳を賭けた人生とは?
それは愛の行為者として、自らの生を地上の愛として根付かせることだ。

こういう作品は突然生まれるわけではなく、その時代に“生まれるべくして生まれる”ような宿命を感じる。

戦争の惨禍を受け、罪なき罰の犠牲者となった日本の庶民。その逆境を生きていかなければならない敗戦後のカオスの時代には、自由の名のもとに溢れ出す動物的な欲望と活力が旺盛であっただろう。

しかし、黒沢の視力は人間の善性と愛を見据えていた。動物的な欲望に打ち勝つだけの強い理性(善性と愛)を持っていなければ人間とはいえない。「死」をグッと引き寄せ、「生」とがっぷり四つに組んで、人間への信頼と希望を与えてくれた。

人物にたっぷり肉付けをして、その性格や表情やクセを綿密に詰め、それぞれの人物にあだ名をつけ、“名は体を表す”ようにそれぞれの存在感で見事に競演させた。

役所の閉塞感、とよの闊達さ、息子夫婦の冷たさ、歓楽街の騒がしさなどなど。緩急のリズムの面白さを味わっているうちに、徐々に深刻な段階へと進む、その堰を切ったような凄まじまさに度肝を抜かれる。

とよが靴下を受け取るとき、どうして私に?と問うたあと、素直に渡辺の親切に感謝するシーンが好き。奇妙なコンビの二人が、最初にクリアしなければいけない感情のやり取りだった。
自分のあだ名をミイラと言われたときは、これから殻を破るエネルギーをもらったようで、一緒に笑ってしまう渡辺。

映画が終わったあと、鑑賞者の魂も殻を突き破られ、震えるほど感動するのだ。

Raspberry