劇場公開日 1952年10月9日

「かなり素朴なヒューマニズム物語」生きる(1952) 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5かなり素朴なヒューマニズム物語

2022年11月17日
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ここは素直に黒澤明の誠実さに感動すべきなんだろうけど、展開のすべてが想定の範疇内に収まっていたなあというのが正直なところ。モノクロの陰影を登場人物たちの心の機微と重ね合わせる画面作りや、ハリウッドのフィルム・ノワールに特有の因果転倒的な物語構成など、物語を支える骨組みの部分には幾度となく舌を巻いたが、逆にいえば物語そのものより外郭に目がいってしまう時点で物語映画としては求心力が弱かったのではないかと思う。もういっそ全力で泣かせる方向に舵を切ってもよかったんじゃないか。私の心が乾いてるだけなのかもしれないけど…

黒澤が大島渚と三島由紀夫に「イデオロギーが中学生レベル」と揶揄されている記事を見つけたときはテメエらインテリぶりやがってよおと出所不明の怒りが湧き上がってきたものだが、本作や『生きものの記録』の前に立ったときに彼らの揶揄に真っ向から反駁できるかというとそこまで自信がない。澁澤龍彦ほどではないにせよ私も「人道主義のお説教」映画がそれほど得意ではないのかもしれない、と改めて思った。

ただ、役所でミイラのように生きていた志村喬が見出した人生最後の希望が「公園を作る」だったのはかなりよかったと思う。どれだけ荒唐無稽なプロセスを経ようと結局最後は手触りのあるリアリズムに帰着するのが黒澤映画の醍醐味だ。無頼たちが画面いっぱいに暴れ回る『七人の侍』も最後に勝ったのは農民だったし、『用心棒』で遺憾なく最強ぶりを発揮した侍は誰に感謝されるでもなく孤独に宿場町を去っていく。これが本数を重ねるうちに、ああ、ここだけは絶対譲らないんだなこの監督は、という信頼へと結実していく。だから本作の主人公も国を立て直すのでも世界を救うのでもなく公園を作る。どれだけ迂回しようと最後には庶民的感覚へと回帰することがメタレベルで運命づけられているがゆえに、黒澤映画は広く大衆に受け入れられたのだと思う。これは言うなればクソ映画であることが事前にわかっているからこそサメ映画やゾンビ映画を見ることができる心理と同じかもしれない。

因果
momokichiさんのコメント
2023年2月20日

ネームバリューによる盲目的な礼賛でない貴方様のレビューは大変参考になりました。これぞレビューです。

momokichi