ゲームの規則のレビュー・感想・評価
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鵺(ぬえ)のような不気味さ
<映画のことば>
感じやすく徳高く
浮気心をなじる君
恨みごとは、ほどほどに。
心変わりは罪とでも?
翼あるのが恋の神。
あちらこちらに飛び移る。
<映画のことば>
社交界における愛とは、単なる幻想の交換。
皮膚の接触に過ぎない。
本作中のセリフにも時として現れる「規則」という言葉は、本来は「(規律の)明確さ」を意味する言葉なのですけれども。
しかしながら、本作では、かえって、仮面の下に隠されたような社交界の鵺的な性格を浮き彫りにするようで、それ故に、得体の知れないような、不気味さすら感じてしまい
ます。評論子は。
そのことを描き切った一本としては、良作の部類には入るんじゃあないかとは思います。
(追記)
愛憎の果てに死者まで出る騒ぎになるのは、なまじっかパーティーなんか開いたりしたからではないでしょうか。
そのことを悔いるどころか、それを「悲劇の出来事」「運命」「事故」として簡単に割り切り、「明日は喪に服する」ことで片付けてしまおうという姿勢に、違和感を超えて、何かそら恐ろしいような「非人間性」を感じてしまったのは、独り評論子だけだったでしょうか。
よくできた、馬鹿馬鹿しい映画
貴族の家でごちゃこちゃが繰り広げられ、思わぬ結末で幕を閉じる。コメディタッチの賑やかな映画。
が、見ていてうんざりしてきた。主な登場人物たちすべてが身勝手だったり気まぐれだったりで子供っぽい。先生や親のいないところでの幼稚園児のケンカを見ているような気分だ。何故わざわざそんなものを見なくちゃいけないの…。
しかし、全体にかなり上手くまとまっており、凝った作りだったとは思う。それぞれのイキイキした演技、風貌の面白さ。いろんな人が上手く組み込まれていたと思う。
クリスチーヌの夫は少しまともにみえた。誰かを責めずに騒ぎを収めたあのやり方は、洗練の極みと思えた。さいごの挨拶では、映画の観客のわたしたちにも、『皆さま、お目汚し失礼いたしました。わたくし共の実態は恥ずかしながらこのようなものでございます』と挨拶しているかのように思えた。
風刺映画ということなら、見ていてバカバカしく感じたのもしかたないか…。
誰か教えて!
2022年6月25日
映画 #ゲームの規則 (1939年)鑑賞
#ジャン・ルノワール 監督の古典的作品
#映画批評空間 が3.9点(89件)
#Filmarks が3.8点
#Yahoo映画 が3.5点(80件)
#映画ドットコム が3.4点(9件)
#KINENOTE が70.6点(169件)
理解できなかった(T_T)
完全無欠とはこの映画の事を指す!
ジャン・ルノワール監督による世紀の大傑作。
大戦前夜の上流社会をドラマチックに、しかし、その存在自体を嘲笑うかのように描いており、悲劇と喜劇がすばらしい配合で滲み出ている。
これはチャップリンの映画と少し似ており、恐らく彼の黄金期の芸術(「巴里の女性」、「街の灯」など)に唯一匹敵しうる作品である。
飛行士が思いを寄せる人妻とその夫との三角関係をベースに、夫の断ち切れぬ不倫相手、監督自ら演じる狂言回し的役柄の男、さらには猟場に忍び込んだ男と召使いの女(彼女の夫は猟場の監視である)とのロマンスを絡め、彼らを形容し難いほど無様に、滑稽に、しかし劇的に描く。
ピエロ的役割の大部分を担っているのが召使いたちだが、ラストの喜悲劇的エンディングを生み出すのもまた彼らなのである。
私が見た限りでは脚本、演出、カメラその他は全てにおいて完璧であり、この名作は映画の手本と言える。
・・・が、これに習い、この映画に近い完成度を持つ作品はあまりにも少ないように思える。
世界映画史上のベストテンに選ばれるべき、ジャン・ルノワールの傑作
私にとって、ジャン・ルノワール監督は難物である。「大いなる幻影」を初めて観た時など、何故感動出来ないのか不甲斐ない苛立ちを覚えた。素晴らしい映画であると全面的に認めながら、映画狂の愛情をもってしても、納得できる反応が生まれてこない忌まわしさは、それまで全く経験が無かったため強烈な記憶として残ってしまった。そして、今度はルノワール監督の最高傑作「ゲームの規則」である。私は、特に後半の展開にある映画の盛り上がりに、ため息交じりの感嘆を何度も反芻しながら、それは同じフランスの巨匠ルネ・クレールの畳み掛ける場面展開の見事なリズムとテンポの演出力に類似しながらも、この映画の本質に自分は深入りできないと意識した。それは「大いなる幻影」の初見の時に感じたルノワール監督の人間の器の大きさ、映画監督としての寛容さに圧倒されたことに関わる。この作品を支配するルノワール監督のこころの豊かさ(巨大な温もり)に、どっぷりと入り込めない。それは、私と言う存在がそれを享受するに相応しくないとする、自己批判を生む。また、フランソワ・トリュフォーは、ジャン・ルノワールを世界で最高の映画作家と断言している。これまでの私的な映画遍歴をもって、トリュフォー監督がルノワール監督の偉大さを尊敬することが、充分に理解できる。
どうも私という映画の僕(しもべ)は、映画は誰にでも理解できる表現で創造されなくては成らないと根底から考えているところがある。そうでなければ、チャールズ・チャップリンとジョン・フォードを映画の神様と決めつけないであろう。ルノワールの作品に対して、今満足な感想を記すことは不可能だ。ルノワールの映画は、私が狂喜し感動しても、饒舌になる世界と違っている。救いは、3年前にテレビで完全版の「大いなる幻影」を再見出来たこと。この時は感動のあまり涙を浮かべた。そして、この作品には、感動のあまり言葉を失った。
1980年 2月29日 フィルムセンター
1939年の制作年から43年経った1982年に漸く日本公開された。その2年前にあたる日本未公開時点のこの版は上映時間1時間29分で、完全版より17分短い。それでも凄い作品と感銘を受けたことは事実。世界の映画史上のベスト10に選ばれるべき傑作と思う。この年のキネマ旬報のベストテンでは、旧作ながら淀川長治氏がベストワンに選出している。
僭越ながら作家論みたいなことを言わせて貰えば、”ほとんどの芸術家は貪欲であり、そうでなければならないと思うが、ジョン・フォードとジャン・ルノワールだけは違う”と世界の様々な映画監督の作品を観てきて私が辿り着いた一つの結論があります。
コメディタッチからいきなりの悲劇、でも何もなかった様に社交パーティーは終了
貴族達がどいつもこいつも浮気していて、更にそこに、使用人たちの恋愛模様も絡んでドタバタ劇が展開。そこに、生真面目で一途な恋心抱く飛行機乗りの英雄が入ってきて、間違われたとは言え、まるで異物の様に撃ち殺されてしまう。このドタバタ劇から惨状への落差のあるストーリー展開はお見事だと思った。
貴族達によるうさぎ狩りで、何匹もあえなく撃ち殺されてしまう様が執拗に描かれていたが、その映像が後の悲劇を予見しているのも上手い。また、奥行きのある画面の手前と奥で三角や四角関係を見せつける映像も新鮮に感じた。
最後、ヒトが一人死んでいるのに関わらず、事故ということで、何でもない様に片付けられパーティは終了となるのも貴族社会なるものへの皮肉が効いている。ジャン・ルノワール監督自身が俳優として主演に近い役で出てるが、良い味を出していて驚かされた。
社会構造の変遷の予告
主にフランスはパリ郊外のコリニエールの別荘の宏大なお屋敷に野狩に集まった上流階級の人々と、そのお屋敷の使用人達のお話です
侯爵夫妻のW不倫のお話を軸に、奥様付きの侍女も色々とお騒がせで上も下も騒動が持ち上がるというもの
たいしたお話ではありません
題名のゲームの規則とは、社交界のラブゲームのお約束ごとのことです
嘘こそが社交界の規則であると監督自身が演じるオクターブが語ります
つまり監督は虚構こそが上流階級の実態であると語っているのです
終盤に英雄が、まるで野狩で撃ち殺される兎のように粗野な森番の猟銃で呆気なく撃ち倒されます
長い野狩シーンはこの殺人シーンのためにありました
英雄はご丁寧にも毛皮のコートを手にしています
将軍は侯爵が事故として事件を処理したことを肯定してこう語ります
階級を守ったのだと
このような人間は今にいなくなるだろうとも
本作は1939年の製作ですから第二次世界大戦突入の直前の作品です
本作で描かれた社会階級は戦争を経て将軍の予想した通りになったわけです
ラストシーンはそのお屋敷から去るのは、上流階級でもなく、その使用人でもない二人の人間です
オクターブとオスカー、その二人の人間は戦後の人間と社会を象徴し予告していたのです
つまり本作はドタバタコメディの娯楽作品の体裁でありながら、実はこのような社会構造の変遷を予告していたのです
本作が高く評価されている意義はそこにあるのではないでしょうか?
カメラワークが面白く独特です
長回しのパンショットで役者を追いかけます
その映像には奥行きをつけてあり、前景の役者の芝居を写していながら、背景に別の役者達が別の芝居をはじめています
カメラが切り替わって、今度はその背景の役者達が前景となり、また長回しのパンショットで歩き回るのを追いかけます
この繰り返しで、常に画面には前景と背景の二つの芝居が同時に進行してスムーズに繋がって物語が途切れなく続いて行くわけです
このようなカメラの働きで、観客の注意をそらすことなく最後まで退屈せず厭きずに観させてくれるのです
監督の力量はやはりただ者ではないと思いました
パーティーがずっと
とてもクラシカル、
たくさんの人が交錯し合い、すべてが転がるように連鎖していく。
鮮やかなその展開に見事に引き込まれてとても楽しい。
なによりも主人の紳士さに惚れ惚れ!
男の人はあああってほしい、優しく、優しく、気弱で、でも堂々と。
男女平等!と叫ぶより、ずっと自然で多様な男女の姿が麗しかった。
みんな適当で、奔放で、全ては気分次第。
それでも悩み苦しみ、泣いたり、わめいたり、だまってぐっと耐えたりする。
人間というのは、ウサギたちと同じように
撃たれてしまえば屍となる、儚い存在で、
だからこそ一瞬の人生を思うままに生きなければ、と
彼らはそんなこと考えている暇もないけど。
罵りあい、愛し合う。
同じ唇からありとあらゆる言葉が次から次へ、
現代と何ら変わらない、
人間の可愛らしさがきらきらと、
どたばたと、
ちりばめられた上品な作品に拍手!
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