グランド・ホテル(1933)のレビュー・感想・評価
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【”ベルリンのグランド・ホテルには職業も貧富も様々な人が来て、去って行く。”今作は”グランド・ホテル形式”という言葉を生み出した逸品である。三谷幸喜監督が毎晩泣きながら観ている作品でもある。(嘘)】
■ベルリンのグランド・ホテルには、様々な人々が訪れる。
・人気の落ちたバレリーナ、グルシンスカヤ(グレタ・ガルボ)
・彼女の首飾りを狙う泥棒、ガイゲルン男爵(ジョン・バリモア)
・会社の経営が危機に陥った実業家プレイジング(ウォーレス・ビアリー)と彼が雇った女性速記者、フレムヒェン(ジョーン・クロフォード)と経理係のクリンゲライン(ライオネル・バリモア)
◆感想
・上記の方々が、様々な事情を抱えつつベルリンのグランド・ホテルに宿泊し、繰り広げられる人間関係。
ー それは、時に粋であったり、思惑を含めて居たり・・。-
・今作をこよなく愛する三谷監督が、一時期夜な夜な今作を観て完成させた映画が、「The 有頂天ホテル」である事は万民が知ることであろう。
<曰く有り気なベルリンのグランド・ホテルに宿泊した人々の喜怒哀楽の人生を、一日の出来事で描いた作品。
この作品に影響を受けた映画は数知れずである。
そういった意味でも、今作は貴重な作品であると、私は思います。>
グランド・ホテル形式
グレタ・ガルボ目当てで見たら彼女の役も含めてとても面白かった。
他にも当時の大スター三人が共演していて、彼らのことはこの作品で初めて知ったのだが、みなさすがの演技と華。
ホテルの一定期間を切り取ってみると、そこには人々の悲喜交々が凝縮されているーグランド・ホテル形式と呼ばれる、映画の一つの雛型になった作品。三谷幸喜作品で楽しいホテルの映画があったけれどこの様式に則っているのね…。
それにしても、バロン(ドリュー・バリモア)が内面も外面もイケオジすぎて、殺されてしまったのは悲しかった…。
「逆ロードムービー」って感じですね。
<映画のことば>
人々が来ては去って行く。
何事もなかったかのように。
ほんの偶然に一夜を同じ屋根の下で過ごすことになった人々。動かない舞台で、それらの人々の多く人生が交錯してゆく…。
登場人物か固定し、舞台(周囲の情景)の方が常に動いていくというロードムービーの正反対の作品と言ったら良いのでしょうか。
登場人物が動くのか、舞台が動くのか。
両者の間には、違いがないようにも思われました。評論子には。本作を観終わって。
その意味では「逆ロードムービー」というような位置づけなのかも知れないと思いました。
(否、本作のようなスタイルが草分けであるとすれば、むしろロードムービーの方を「「逆グランドホテル形式」とでもいうべきか。)
本作は、いわゆる「グランドホテル形式」というスタイルの元祖である一本は、どんな作品だったのか…。その好奇心から観ることにした一本でしたが、鑑賞前に寄せた期待は、裏切られなかったと考えています。評論子は。
佳作であったと思います。
「大空港」の原点!
各登場人物描写とエピソードは
デフォルメが効き過ぎて
リアリティに欠けるが、監督の力量か、
冒頭の上手い公衆電話のシーンから
ラストシーンまで飽きることなく
観ることが出来た。
グランドホテル方式映画としては
「大空港」の方が現実感があって
全体的に優れているとは思うが、
約一世紀近い前の作品でも映画文化レベル
に現代との差は無いと認識させてくれる
作品のひとつだ。
ドラマチックな構図。
なにも考える余地なくサクサク事が進んでいくストーリーテラー。
昭和8年のアカデミー賞作品賞なのですね。すごく古い。
宿泊客の人間模様を描きだす手法は現代作品と同じ、この作品のスタイルだったのですね。
この作中のガルポはあまり魅力的ではなく、男爵の結末もあっさりと拍子抜けでしたが、
ドラマチックな構図は好きですね。
要は手法でなく内容
MGMが総力挙げて作った伝説の映画、たまたま同じホテルに宿泊した客たちの織り成す群像劇。
落ち目のロシアのバレリナー(グレタ・ガルボ)や医者に見放された会社員(ライオネル・バリモア)とその会社の狡猾社長(ウォーレス・ビアリー)、金欠美人速記係(ジョーン・クロフォード)、それらを繋ぐ横糸が落ちぶれた貴族の泥棒(ジョン・バリモア)という役どころなのだが殺されてしまう。
かといってサスペンス映画ではなくシチュエーションコメディでもない、人間ドラマを掘り下げようにも時間も場所も限定的なことが仇になる。結局、セリフで心情を語らせる演出となりスター鑑賞会に成り果てる。宿泊に至った経緯を電話シーンで長々と説明したりロビーでの出会いで人物紹介を兼ねたり本筋に入るまでの段取り感がかったるい。正直、高級ホテルという設定だと客のプライバシーに興味を持つこと自体が下世話に思え聞き耳を立てる気になれない。そういうニーズがあることは致し方ないがテレビのワイドショーにも壁癖している日常ではシチュエーション自体がどうでもよく思えてくる。要は手法でなく内容次第なのだが時代も文化的背景もいささか古すぎて映画のお勉強をさせて頂いたということに尽きましょう。
この世は回転ドア
ベルリンで一番というGrand Hotelを舞台にして人生の縮図を描いた、アカデミー作品賞受賞作。
金で不幸になり、金で幸せになる。
落ち目かつ現実逃避的なダンサーや、生活費のためにこれまでの人生の大半や貞操を犠牲にし、嘘をつき、盗みを働いてきた宿泊客達の群像劇です。今では見慣れてしまった形式ですが、本作が「グランドホテル方式」の教科書的存在だと知りました。
個人的には内容よりも、伝説的女優Greta Garbo目的で鑑賞。
遠目に全身を見ると彼女の美貌が際立ちます。ただ、元はサイレントで人気を博したからなのか、現代からすると演技がやや仰々しく感じました。自殺を考えるほど落ち込んでいたかと思えば、恋した途端に舞い上がるダンサー役も、彼女自身がbipolar疑いと知ると、演技なのか、素が入っていて余計そう見えてしまうのか、とても極端でした。彼女の生き様と被るということから知られた名セリフ
“I want to be alone.”
も本作です。
遠慮して?同時期に撮影に臨むことはなかったというJoan Crawford、眉毛は変でも彼女らしさがありました。
肝心の内容ですが、労働者も経営者も、善人も悪人も、生きている限り金に縛られる様が描かれていました。Grusinskayaは金と無関係のように見えますが、彼女の取り巻きからすれば、公演の売り上げの要なだけで、彼女を蝕む孤独にも、酔わせる恋にも、真摯に向き合ってくれるわけではありません。
コソ泥の自称”Baron”は、誰にでも愛想の良い人ですが、デートに誘っておきながら心ここに在らずだし、カッコつけたいがために旅費を工面しようと盗みを繰り返すし、盗む相手を選ぶ点が憎めないとは言っても、あまり同情できる人物ではありませんでした。Grusinskayaのお財布に頼っていれば、殺されないで済んだでしょうし。金目のものを盗むつもりが、ハートを盗られて自滅してしまいました。
Preysingは嫌われ役を全部引き受けている感じ。
彼の主力商品であるモップまで、Baronのワンちゃんに辛く当たる(^_^;)。
一番共感できるのはKringeleinでしょうか…。コツコツ真面目に勤めてきたけれど、余命僅かと知り、貯金をパーッと使おうとしている初老男性。こんなに幸せなのは初めてだと人懐っこく喜んだり、遊び方を知らないため酒や踊りやギャンブルを素直に学んだり、必死に落とした財布を探したりと、微笑ましかったです。Flaemmchen、やはり半分は彼の財布目当てなのかなぁ…(^_^;)。財布が空になっても側にいてくれるといいんだけど。
別れ際に女性のお尻を叩いたり、仕事上の立場を利用して関係を迫ったり、病人を解雇したり、思いっきりセクハラ、パワハラでした。嫌な奴は罰せられるも、当時は許容範囲内だったのかと思うと観ていてあまり気持ちの良いものではなかったです。お金で当たり前のように女性を釣る所も嫌でした。
傍観者役っぽいDr. Otternschlagが最初と最後に、
“Grand Hotel. Always the same.
People come, people go.
Nothing ever happens.”
と語りますが、一応色々起きるわけで。
結果ホテルに変化がないってことなんでしょうけど…。殺人が起きたことで、これから客足が遠のくかもよ?!
観終わって、これで良かったのかなぁ…と思ってしまう話でした。
人生の終わりにこんなモヤモヤしたくないなぁ。
“Just another desk slave. Money.”
“You think you have free license to be insulting? Believe me, you have not. You think you're superior, but you're quite an ordinary man, even if you did marry money and people like me have got to slave for you for 320 marks a month.”
“When a man's working himself to death, that's what he's paid for. You don't care if a man can live on his wages or not.”
“You can't discharge me. I'm my own master for the first time in my life..... Before I can be discharged, I'll be dead!”
“...for the first time in my life, I've tasted life!”
“Life is wonderful, but it's very dangerous. If you have the courage to live it, it's marvelous.”
“Believe me, if a man doesn't know death, he doesn't know life.” (「生きる」が同テーマですね。)
“It's a short life, but a gay one.”
“Come on. Drink to life, to the magnificent, dangerous, brief, brief, wonderful life..... and the courage to live it.”
“You know, I've only lived since last night, but that little while seems longer than all the time that's gone before.”
“Nobody ever gives you anything for nothing. You have to buy everything, and pay cash for it.”
“Every hour costs money.”
グランドホテル形式の教科書
入り婿の大社長プレイジンク(フォーレス・ビアリー)は自己の事業が危機に瀕したので他の会社との合併を企てていた。
エキゾチックな踊り子として艶名を謳われたグルシンスカヤ(グレタ・ガルボ)は昨日の人気も失せ、明日にも自殺を決行せん許り全く気力を失っていた。
フォン・ガイゲルン男爵(ジョン・バリモア)は賭博に浮き身をやつしてた挙げ句、多大の借財を負って盗賊団に身を投じていた。彼はグルシンスカヤの宝石を盗み出して債務を逃れんとしていた。
女速記者のフレムフェン(ジョーン・クロフォード)、すこぶる性的魅力のある女で最近プレイジンクに雇われた。
かつてはプレイジングの会社の帳簿係をしていたクリンゲライン(ライオネル・バルボア)は健康を害して自暴自棄になり、せめてこの世の名残にもと、へそくり金でグランド・ホテルに。
グルシンスカヤの170号室に忍び込んだ男爵だったが、彼女が劇場から戻ってきてしまい、危機一髪。彼女は落ち目であることに嘆き、自殺しようと決心するのだが、機転を利かせた男爵は自殺を止め、ずっと好きだったと愛の告白をする。たちまち恋に落ちた二人。彼女も短絡的に立ち直り、二人で次の公演のあるウィーンへ行こうと約束する。そんな男爵、ちょっと前にはフレムフェンとデートの約束をしていた・・・まぁ、それだけ優しく女性の扱いが上手いプレイボーイといったところか。
金が必要となった男爵。何しろ借金取りに追われ、ホテル代も持ってないのだ。余命わずかのクリンゲラインと仲良くなったこともあり、カードで勝負しようと彼を誘う。失意のどん底なのか酔っぱらってるだけなのかわからないクリンゲラインは初体験のギャンブルでバカヅキ!部屋に戻っても男爵は彼の財布を盗もうとする。
なにしろ明日はグルシンスカヤと旅立たねばならない男爵。今度はプレイジングの部屋に忍び込むが罵倒され殴られ・・・そして殺されてしまった。目撃したフレムは警察を呼び、クリンゲラインの部屋で亡き人を惜しむ。慰め合っている二人は恋に目覚め、病気なんかも吹っ飛ばしてしまう勢いでパリへと旅立つのだ。男爵が死んだことなどつゆ知らず、グルシンスカヤはウィーンへと旅立つ・・・
“グランド・ホテル形式”という言葉を生んだこの映画。やはり人間関係と人生の浮き沈みを描く手法に唸らされる。嘘も方便で合併話が成功しそうだったプレイジングは殺人犯人。落ち目のダンサー・グルシンスカヤが自殺志願から生きる希望を見いだしたのに悲劇を迎え、今にも死にそうだった男が明るい未来を見つける・・・
それに金のために嫌なボスの下で働くという資本主義社会の陰の部分もあぶり出す。安い給料でつつましく生きていた二人が最も幸せになるという皮肉も表現されていた。
グレダ・ガルボよりジョ-ン・クロフォードの方が印象的。オールスター...
グレダ・ガルボよりジョ-ン・クロフォードの方が印象的。オールスターキャストというだけで映画の内容は可もなく不可持たせなく。何故アカデミー作品賞?というのが正直な感想。
グランドホテル形式!
ちょっと映画史的な興味で見てみました! たしかに、今でも散見する形式ですね。その原点がこの映画ってことなのね?
この形式自体の面白さは分かるんですけど、私としてはどうもそれだけでは楽しめなかった感じがありますね。男爵は魅力的だったけど、グレタ・ガルボもジョーン・クロフォードも、あんまり美しいって感じなかったなぁ。やっぱり女優に惹きつけられることが少ないと乗り切れない感じがあるなぁ、と。あと、テンポがちょっと悪かったかなぁって。
ということで、申し訳ないっす、有名だけど、私にはちょっと合わなかったってことで。
これがあの有名な・・・
総合:70点
ストーリー: 70
キャスト: 75
演出: 75
ビジュアル: 60
音楽: 60
一つの場所を基点にして、行くものも去るものもそれぞれが事情を抱えている。舞台は一つだが、そこに集う人々の人生の悲哀を追いかける。これがグランド・ホテル形式と呼ばれるようになった手法ですか。今となってはこのような作品やそれを発展させたような作品はいくつもあって目新しさはないが、この時代にはやはり革新的だったのだろう。未だにこのような作品が作られるというのが、その手法の先見性とともに普遍性を物語っている。
もうひとつどんなものかと期待していたのは、伝説の女優クレタ・ガルボ。名前だけは知っていても、古い時代の女優なので残念ながら出演作を見たことが無かった。凛とした人を寄せ付けないような美しさがあった。かつては栄光を見たのに人気の陰りで崩れそうになるのが、この世界に生きる浮き沈みの厳しさを物語る。それがクレタ・ガルボのその後の人生と重なるのが何ともまた厳しい。そのときの彼女の心境はまさにこのときのようなものだったのかもしれない。
それなりに楽しんだけど、古い映画でもあるし現代には色々な作品があるし、世間の高い評判ほどすごく面白いと思ったわけではなかった。でもこの時代にこのような手法で作られた元祖的作品を見れてよかった。ガルボだけでなく、美しい秘書のクロフォード、借金漬けの男爵と病気の会計係の両バリモアの演技と人生も良かったです。
古き良き夢の残り香
いわゆる場所が主人公で、そこに集う人々の人間模様をオールスターキャストで描く、空間・時間を限定した群像劇という形式をはじめて打ち出した画期的な作品。それにふさわしく出演者もやたら豪華。もうこういう古き良き夢はスターシステム不在の今では不可能なんだろうなとひたすら実感させられる。
ストーリーは、ベルリンにあるグランドホテルが舞台。ベルリンいちの高級ホテルゆえ、泊まり客もそれなりの格式を要求される。その服装ゆえ安い部屋をあてがわれたクリゲライン(ライオネル・バリモア)はロビーで「医者からもう長くないといわれたんだ!最後に贅沢したい!」と大立ち回り。おかげで最高級の部屋に泊まれることとなった。クリゲラインの泊まる階には彼を首にした社長プライシング、男爵と名乗る紳士(ジョン・バリモア)、著名なバレリーナ(グレタ・ガルボ)が宿泊していた。プライシングはそこで企業合併をすすめていたが、結果が思わしくなく、美貌の女性速記者(ジョーン・クロフォード)に声をかけ情事で憂さを晴らそうとする。バレリーナはそろそろ年齢的な限界を感じ始め、舞台に立つ気力がなくなってドタキャンを繰り返している。クリゲラインは死を間近にしてようやく人生の楽しみを覚え充実を感じる。速記者とダンスをし、つかの間の至福を得る。男爵は借金返済のためバレリーナの部屋に忍び込むが、彼女と恋に落ち、一緒に公演先へまわるためにプライジングの部屋に忍び込み、殴り殺される。プライジングの部屋にいた速記者はクリゲラインに助けを求め、バレリーナは男爵が彼女を待っていると確信しながら闊達にグランドホテルを後にする。速記者とクリゲラインは新たな人生を得ようとパリへと旅立つ。そしてホテルにはまた新たな客。
不勉強をさらすようだが、グレタ・ガルボの演技を初めてみた。確かに美しい。なんというかありきたりな表現を使えばオーラがあるというか、ガルボ的としかいいようのない雰囲気がある。こういう人はほかの女優ではマレーネ・ディートリッヒしかしらない。ただやはり今日の視点からすると演技が非常にオーバーで、あまりにも夢見る少女すぎて鼻につかないこともない。ただ昔の映画にそんなことをいってもしょうがないので、これはこれでよいとは思うけれども。コントラストのあまり強くない、全体的にシャがかかったような柔らかい白黒画面がまた、ガルボの魅惑的かつ夢幻的な雰囲気を高めている。
男爵のジョン・バリモア、クリゲラインのライオネル・バリモアというバリモア兄弟の共演もいい。とくにクリゲラインが野暮天のお大尽遊び、肩ひじ張って無理やり笑おうとしているこの悲哀を体現していて、みているうちに胸を引き絞られるような思いがする。(多分クロサワの「生きる」の元ネタだろう)男爵の、非常に流麗な物腰でありながらも、どこか身体の一点に油断ならない怪しげな部分を常に(我知らず)覗かせてしまっているようなところもよい。
流れるようなカメラワークとともに、時折特徴的な構図ーーロビーを回遊するように配置されているタワーのような円形の間取りなどがはさみこまれる。上から見下ろすとロビーを無数の輪が取り巻いているように見える。このショットから人物相関図がひとつの輪のようなつながりをみせていることが暗示されている。だが物語は幸福な幕切れへと誰一人円環を結ばない。それでも全体の印象は風が吹き抜けるように颯爽としており、物悲しくも後味がよいのはなぜだろう。それは多分この制作者が人生に対する(諦念としての)肯定的な視点を全編に渡って貫いているからだと私は思う。
「カヴァルケード」の前の年に公開されたとはとても思えない(ガルボの演技を除いて)鮮度を保っている映画だった。古典だからといって「俺みたぜ」映画の枠組みにはおさまらない、時代に負けない作品である。見て損はない。いいものはいつだっていいのだ。
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