「ブライアンの知性」キャバレー(1971) くーちさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ブライアンの知性

2019年9月9日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

大昔に観た映画をもう一度観たとき、以前とは全く違った印象を持ち、自分自身や時代の変化に気付かされることがある。『キャバレー』は、まさにそういう映画だった。

頽廃的なショーや天衣無縫なサリーのキャラクターが魅力だと思っていたが、今観ると、ブライアンのセクシュアリティの揺らぎと葛藤が胸に迫る。同時に、サリーからスポットライトが外れたことで、かつては時代相を表すものと捉えていたフリッツの恋や「ユダヤ人」をめぐる言説の、ブライアンの物語との有機的な繋がりもよく見えるようになった。

ブライアンとフリッツの物語を繋ぐのは、ナチスのユダヤ人と同性愛者の迫害という歴史的事実であり、これについては既に多くの指摘がある。

その文脈を踏まえた上で、改めて驚かされたのは、ブライアンの知性の強靭さや、批判精神の健全さ、そして彼が意外なほど勇敢であるということだ。ブライアンは、生真面目な大学院生だが、決して気弱な優等生ではなく、「ユダヤ人」に対するデマや差別を言下に否定する勇気を持っている。ナチズムには抵抗の姿勢を示し、フリッツの恋を応援する。また、ブライアンの誘惑に失敗したサリーが悪びれずに口にした彼のセクシュアリティに対する疑問にも、正面から答え、誤魔化したり、あるいは悲劇的に語ったりもしない。

いま、私は、特定の国や民族に対するデマや差別を垂れ流す人物が眼の前にいたとして、そうした言説や、暴力に対して、昂然と立ち向かうことができるだろうか。フィジカルな暴力を行使する集団に対して、勇気をもって抵抗の姿勢を示すことができるだろうか。あるいは、セクシュアリティの問題に土足で踏み込んでくる他者を信頼し、胸襟を開くことができるだろうか。

ブライアンがすべての面において模範的だというわけではなく、とりわけ性に関しては時代的な制約もある。それでもなお、『キャバレー』の世界は私(たち)が生きる現在に肉薄し、「お前はどう生きるのか」と問いかけてくる。

くーち
Mさんのコメント
2023年2月5日

心に残るレビューでした。

M