劇場公開日 1986年8月30日

「清々しいまでにアメリカ」エイリアン2 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5清々しいまでにアメリカ

2023年1月3日
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本作には多様な側面がある。

一つ、ブロックバスター映画としての側面。これはもう別に言うまでもない。「監督:ジェームズ・キャメロン」の時点で語るに落ちている。当時の最新技術をふんだんに駆使した映像は今見ても美しく重厚だ。事あるごとに爆破シーンがあるのも大層景気がいい。

一つ、家族映画としての側面。リプリーとニュートの関係は、単なる利害関係を超越した家族的連帯だ。終盤の脱出シーンでニュートが排気口の隙間から下に落ちてしまったとき、リプリーは隣にいたヒックスに一言もかけ合う間もなく彼女を助けに戻る。その後、リプリーはエイリアンの繭から救出したニュートを連れて出口へと向かうのだが、そこでクイーンエイリアン&無数の卵と出くわす。こいつらはおそらくリプリー&ニュートが結んだ擬似家族と対を成す存在だ。クイーンエイリアンとその無数の卵は言うなれば本物の家族だ。それゆえリプリーもはじめは火炎放射器の発射を躊躇うかのように後ずさる(単に敵との距離を取るためというのもあるだろうけど)。しかし最後には覚悟を決めたようにクイーンエイリアン共々無数の卵を焼き払う。血縁の強さでは負けても気持ちでは負けないというリプリーの母としての決意がそこには表れているようだ。全ての戦いが終わったとき、ニュートはリプリーと抱き合いながら彼女のことを「ママ」と呼ぶ。リプリーが一方的に仮構していた家族絵図はニュートにも受け入れられたのだ。

一つ、ウーマンリブ映画としての側面。リプリーの機知と度胸に富んだ行動を見ればそれは明らかだ。後半の銃火器ぶっ放しシーンももちろん爽快だが、個人的には兵士たちがエイリアンの巣に誤って突入してしまうシーンが印象的だった。部下の兵士たちは次々とエイリアンに殺されていくが、素早く判断を下すべき立場の上官はアタフタするばかりで何もしない。リプリーがたまらず「撤退させて!」と叫ぶと、上官は「黙れ!」と逆ギレ。誰に対してもこういう態度なら単なるキレ体質でしかないのだが、リプリーではなく横にいた男(バーク)の言うことはおとなしく聞くあたりタチが悪い。しかし結局最後はリプリーの勇気ある行動で兵士たちは難を逃れる。はじめこそいかにもホモソーシャルなノリの排他と冷笑でリプリーを小馬鹿にしていた兵士たちも、以降は彼女に一目置くようになる。

ただまあこれらを総括してみたときに、なんとなく引っかかりを覚えるのも事実だ。たとえばリプリーとニュートの家族物語は美しいが、全ての家族をエイリアンに惨殺された少女に、会って半日の成人女性に「ママ」と呼ばせてしまうのは過剰演出なんじゃないか。そこは擬似家族のまま終わらせて、あとは映画の外側でより深い関係を築いていってもらえばいいじゃんと思ってしまう。また、男を一切必要としないリプリーの活躍ぶりも確かに素晴らしいのだが、リプリーを演じたシガニー・ウィーバーは銃規制推進論者だったという。本作はそんな彼女に銃火器を持たせ、あまつさえ何匹もの生物を殺害させてしまっている。けっこう酷い。しかしこれらの懸念は結局のところ空前絶後の爆音とアクションによってうまいこと韜晦される。本当にもう清々しいまでにアメリカの映画だ。

一作目の『エイリアン』は静謐なクラシック・ホラーのきらいが強く、ゆえに本作と比べれば地味な仕上がりではあった。しかしリドリー・スコットは最後まで家族やら恋愛やらを取り入れなかったし、シガニー・ウィーバーに銃を撃たせなかった。短期的な快楽値でいえば本作が圧勝だが、ふと思い出したとき、アレすごかったな、と思うのはたぶん一作目だと思う。

因果