劇場公開日 1969年9月3日

「2人の女性が主役 昔の男にドン引き」私が棄てた女 らららさんの映画レビュー(感想・評価)

3.52人の女性が主役 昔の男にドン引き

2023年8月2日
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題名だけ知っており、アマゾンプライムに入っていたので見た。当時の日本の景色、時代背景が映されて車や看板のデザインから目新しく、古い映画は戦後史の資料のよう。

主役の吉岡努(河原崎長一郎)は、当時の早稲田大学卒で、尚且つ社長の姪マリ子(浅丘ルリ子)と婚約中。というけど、無愛想かつエラソーで魅力は無い男。
大学からの友達長島(江守徹)もひどい。

大学時代に長島は「明星のペンフレンド募集コーナー」で女を物色、自分がモテないのを棚上げし「ブタばっかり」と悪態つきながら(ブタ5連発してた)「タダでやれる相手」と吉岡をそそのかす。胸糞悪い。

吉岡は待ち合わせに来たミツに対し、最初から偉そう。初日でアパートに連れ込み襲おうとまでする。これで2度目のデートが有り得るって、よほど手紙の中身が良かったのか……。

ミツは太り気味で、垢抜けず鈍臭い田舎の女子。でも、明るくて気はよく、海岸で「東京ドドンパ娘」を演奏し踊ってる人達に混ざり、一緒に踊ってるの面白かった。
吉岡は離れたとこで仏頂面でみてるだけ。ミツは一緒に踊るような明るい男子と付き合った方が幸せになれた気する。

吉岡は酷すぎた。海岸の小屋に置き去りはミツが危険な目に遭う可能性もあったのに。しかも避妊もしてないとは最悪。

男は何のリスクもなくやり捨て、女は棄てられた挙句、中絶費用を払わされ怖い手術台に登り体の負担と罪悪感を引き受けるとは?

今も中絶費用を捻出できず産み捨てた女性が逮捕されてる事件があるけど。

ミツは、高額の中絶費用を作るために、友達の勧めでおじさんに売春したらしき場面があり悲惨。

やり捨てられ後も、まだミツが吉岡を好きなのはリアリティはない。後年会った時、中絶の話して費用ぐらいは取り立てたら良かったのに。痛快な復讐劇になれば良かったが、そうはならない。

少女期は楽しく遊んだ友人も、都会で売春斡旋業に堕ちてた。故郷に帰らずにこの友だちに頼る必要ある?とは思ったが。
傷ついて堅気の仕事する気にならなかったのか、吉岡とまた会いたくて東京を離れなかったのか。

マリ子が吉岡を好きになった理由はさらに分からない。美人かつ社長の姪で性格も悪くなく、歌もうまい(突然歌のシーンが)、
離婚歴があるとはいえ、引く手あまたな気がする。

会社で「お預けは勘弁だから」とマリ子の都合無視して「下宿に来いよ!」と命令する男のどこがいいのか。マリ子は「怒った目が好き」とか言ってるが、そうはならないだろう。

マリ子の親戚の集まりで、吉岡はマリ子のどこが好きと聞かれ「綺麗だから」しか答えてない。

社長のドラ息子が「キャディなんてうんと虐めて辱めてやらなきゃダメだ」だの「女は半人間」とか言い出し、当時の差別男にドン引きするが。酔って異議を唱え食ってかかった吉岡も、女に関しちゃクズっぷりは変わりはない。

酔いつぶれた吉岡を、女性5~6人が連れ出し介抱するのも度肝を抜かされた。ガタイのいい男を運ぶのに男どもは誰も動かない。

「あなたなんか嫌」と怒るマリ子に、吉岡は何故か無理やりキスだの押し倒したりだの、DVにしか見えない。

ミツも世話焼いた老婆の息子にも無理やりキスされてたが、当時はまだセクハラという言葉もない。再開した吉岡にも合意なく押し倒されたり、女性は言いなりで主導権も拒否権もなかったようだ。

ミツと再開した料理屋の2階で、カーテンも閉めずすぐ横の人で盗撮する男の気配にも気づかない吉岡はおかしすぎる。ミツは、これで恐喝の共犯にされてしまう。そして友達に追求にいきあえなく亡くなる。

吉岡もマリ子に捨てられ会社もクビになり、何もかも失うかと思いきや。

突然カラーの前衛的な夢を見る吉岡。

現実に戻ると、なぜか老婆の息子と将棋さして、髪を切り妊娠したマリ子が家にいて、仲良く喋ってる(老婆の息子、子猫持ってる?)シュールな光景……。

マリ子は、なぜか吉岡の元を去らなかったらしい。そして吉岡が持ってたミツの遺影写真は焼きながら、ミツを殺したものと対峙すると決意。

妊娠してる時に、夫が好きだった薄幸の女性や同じ境遇の人達のために動こうと思えるのだろうか。またミツを死なせた1人は夫なのだが。

やり捨ててもずっと自分を思い続け、何も要求せず、結婚してからもやりたい時やらしてくれて若く亡くなるミツ。

美人妻がほしい出世もしたい欲を叶えてくれ、浮気がバレても離婚せず自分の子を産んでくれる妻。

どちらも偉そうな男に都合がよすぎる女性ではないか。家父長制、男尊女卑、女への暴力、セクハラモラハラを消し去ることがミツへの供養だろう。

後に豊かな時代へ突入はしたけど、不幸な人が見えづらいところへ押しやられた。そしてまた格差が生まれたが「自己責任論」がまかりとおり、恵まれた者の責任という発想が無くなった。

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ららら