劇場公開日 1969年9月3日

「原作とは全く別物として観る作品だとしても…」私が棄てた女 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0原作とは全く別物として観る作品だとしても…

2022年4月6日
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鑑賞方法:DVD/BD

遠藤周作原作とは全く異なる内容だ。

小説では、ほぼ吉岡が語る物語だが、
実質的に森田ミツが主役の話だ。
しかし、映画のキャスティングでは
吉岡とマリ子がメインで、
ミツの扱いは原作からはほど遠い。

また、「砂の器」と同じく、
映画としては表現出来ない背景があったと
しても、ハンセン病には触れていないから、
小説でのミツがハンセン病の陰性が
証明されても病院に残る決断へ繋がる
彼女の思索が無く、
遠藤周作のキリスト教感に基づく
大事な要素が全く抜け落ちていると
言わざるを得ない。

往々にして原作本の映画化に際しては、
監督は原作とは異なる芸術性創出のために
かなりの改変を行うことがしばしばだが、
同じくハンセン病を扱った両作品の映画化
で、私にとっては
上手く改変したのが「砂の器」で
残念なのが「私が棄てた女」のイメージだ。

また、人間的な魅力を感じない描写で
あるにも係わらず、
社会的には何故から出世を遂げていく
吉岡の人物像には不自然さを感じる。

話の展開として私が特に残念なのは、
知り合いのホステスの手配での
ミツと吉岡の情事を揺する展開だが、
余りにも問題を通俗的に特殊解化させて
しまい、
テーマの普遍化を妨げていることだ。

この作品、原作からは離れ、
社会的格差に深く切り込んだ内容に思える。
そして、ラストシーンで、
ミツを悲劇に追いやった皆々が、それでも
それなりに生きていくことや
背負っていくものの重さも示唆される。

原作とは全く別物として観るべき
作品なのだろう。

しかし、作品案内に原作が
「遠藤周作」とある映画である以上、
どうしても私の好きな小説
「わたしが・棄てた・女」から
頭が離れないままに鑑賞してしまうことは
間違いないだろうから、
これ以上の鑑賞は難しいかも知れない。

KENZO一級建築士事務所