劇場公開日 1954年1月15日

「小津「晩春」との対比」山の音 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)

3.5小津「晩春」との対比

2015年8月14日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

知的

萌える

成瀬巳喜男の映画にしては珍しく、登場人物たちは鎌倉の邸宅から東京へ通勤する上流階級の人々。山村總を笠智衆に変えたらそのまま小津安二郎の作品になりそう。
いや、むしろ成瀬はそのような小津の世界を意識してこの作品を撮ったに違いない。小津映画にも出てくる、鎌倉から東京までの横須賀線の車窓の描写が克明であるのも、その証左ではなかろうか。
山村と原節子が電車で東京へ向かうシークエンスでひときわ印象的なのは大森のガスタンクである。空席が無く当初は立っていた二人がこのころには席を得て座っている。つまり、横浜で空いた席に原がまず座り、次に川崎で空いたので山村が座っているらしいことが、このことから分かるのだ。
また屋内の撮影で、廊下にカメラを固定して人物が出入りするシーンが多用されているところも、ここだけを観れば小津の画そのものである。
そんな小津風味の中で成瀬映画の刻印を残しているのは中北千枝子である。婚家から子供二人を連れ帰ってきた中北が風呂敷に荷物を詰め込み、下の子(なんであんなに巨大な赤ちゃんなのか???)をおぶって髪を振り乱しているのは、小津調の世界にいきなり乱入する成瀬調である。
しかし、成瀬は単に小津の真似ごとをしたわけではない。山村と原が家の前の通りを二人並んで歩く冒頭と終盤のシーンの美しさはまぎれもなく成瀬のものである。移動カメラが陽の光に照らされる二人の容貌を的確にとらえる。屋外の撮影で自然光が美しく被写体を照らし出すシーンを固唾を飲んで見入ってしまう。
それにしても、一歩間違えると老人の、息子の嫁に対する醜怪な欲望の話になりかねないものを、水木洋子の脚本のなせるわざか、清廉な舅と嫁の絆として描いている。
原の山村に対する想いが、単なる舅への敬愛や尊敬に収まるものではないことが、その目で訴えられている。これは、小津の「晩春」において、娘役の原が父親の笠に旅館の一室で離れたくないと想いを吐露するシーンと同じく、非常にエロティックである。
思えば、「晩春」の父娘も鎌倉に住み、東京へ通勤する人々であった。

佐分 利信