劇場公開日 1968年4月13日

「摩天楼の隙間に吹きすさぶ孤独の病原菌」みな殺しの霊歌 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0摩天楼の隙間に吹きすさぶ孤独の病原菌

2022年10月7日
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実録路線時代以前で印象に残った任侠映画といえばマキノ雅弘の『博奕打ち 総長賭博』と加藤泰の『明治侠客伝 三代目襲名』の2本だが、とりわけ『三代目襲名』は撮影技法に粋が凝らされていて面白かった。真上から神輿を見下ろすアングルから徐々に祭日の喧噪へとフォーカスが流れていく序盤のシーンは一度見たら忘れられない。

そんな加藤泰が山田洋次とタッグを組んで取り上げたクライムサスペンスが本作。加藤のアクロバティックな撮影技法と山田の重厚なヒューマンドラマが交じり合うのだから面白くて当然だ。

佐藤允演じる擦れた上京青年は、ある理由から富裕層の女たちを次々と殺害していく。その理由というのが不思議なもので、それは女たちに性的な嫌がらせを受けて自殺した名も知らぬ同郷の知人のためだという。当然、女たちは「そんなことで!?」と不可解げな断末魔の叫びを上げて死んでいく。刑事の男が言っていた通り、女にちょっかいを出されたことを気に病んで死ぬような男は(その逆パターンに比べれば)そうそういない。それを聞いて復讐に燃え上がる男などはもっといない。

ただ、内容を見ていればわかる通り、青年の復讐に対する熱意は本物だ。決して退屈しのぎの道楽や短絡的なルサンチマンから殺人行為に及んでいるのではない。

裕福な女たちは東京が放つ斥力の存在を知らない。来る者は誰であろう拒まないという大都市の寛容さが、実のところ酷薄な無関心と表裏一体であることを。しかし北海道の田舎という「外部」からやってきた青年はそれを痛いほどよく理解している。

身一つで東京にやってきた彼を待ち受けていたのは、自分を眼差すものが何もないという底なしの孤独だったのだ。したがって彼が倍賞千恵子演じる下町娘に惹かれていくのも無理はない。彼女だけは青年を一人の人間として自分の内側に受け入れてくれた。

話は逸れるが60年代後半の倍賞千恵子ほど美しい女優もそうそういないんじゃないかと思う。可憐さの中に陰りがあるんだけども、脂っこい媚態は少しも感じられない、そういう不思議な感じ。劇中で彼女が「あたし細く長くなんか生きたくないわ」とぼやいてみせるシーンがあるが、いや、アンタは80超えても稀代の名女優のままですよ!と鼓舞したくなった。

閑話休題。

しかし下町娘も結局最後には青年のことを突き放してしまう。こうして最後の砦までもが決壊してしまった青年を止めることは、もはや誰にもできないことだった。

名も知らぬ知人が命を絶ったアパートで青年が最後の殺人を犯すシーンは凄絶だ。追い詰められた女の絶叫とともに青年と知人の美しき日々が、そして彼の命を奪ったあの日の光景が激しく明滅する。このあたりは加藤泰の演出が光りに光っている。俺たち日本人もオーソン・ウェルズを、ヒッチコックをやってやろうじゃねえか!的な活力を感じた。

今更言うまでもないが、青年にとって同郷の知人は孤独の淵で出逢った唯一の同志だった。たとえ名前を知らなくとも、そこには何よりも強い連帯があった。そのように尊いものを、そうとは知らずに滅茶苦茶にしてしまった女たちに対する青年の怒りは最もなものだ。そして青年は知人の痕跡を辿るように、彼と同じ場所から飛び降り自殺を図った。忙しない都会のざわめきは、俺たちもっと早く出会っていればな、という青年の遺言さえも容赦なくかき消してしまうのだ。

雨の中、青年の墓前で千切れた指名手配書の写真を繋ぎ合わせる倍賞千恵子の悲痛な表情がいたたまれなかった。思えば倍賞千恵子はどの映画でもたいていこういう不憫な目に遭っている気がする。悲痛さにかけては他の追随を許さない女優だというのはわかるのだが、それにしても可哀想だな…

因果