劇場公開日 1962年4月6日

「「実は私は部落民なのです。どうぞ私の言うことを覚えておいてください。噛んで含めるように訴えたと覚えておいてください。」」破戒(1962) 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0「実は私は部落民なのです。どうぞ私の言うことを覚えておいてください。噛んで含めるように訴えたと覚えておいてください。」

2022年11月4日
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鑑賞方法:映画館

昭和37年(1962)、今から60年前の映画。先日も真宮祥太郎主演で同作が上映されたが、やはり時代時代の部落民に対する世情が色濃く反映されているなと感じた。なにより、今よりもなお、「部落」と差別されている人たちの存在が身近だったはず。物語の舞台である明治37年(1904)に少年少女だった人たちが、まだ老人世代として健在だったのだから。差別意識は廃れていたとしても、子供時代の記憶にまざまざと刻まれていたことだろうなあ。

市川雷蔵。この役者の幅の広さにつくづく敬服せざるを得ない。シュッと端正な顔立ちでありながら、まさしく部落民の苦悩を表している。かつて、容姿も蔑まれた彼ら部落民のなかにも、稀に美形の女子が生まれたという。高柳代議士の妻のように。だから、丑松が「市川雷蔵」であっても不思議ではない。それを好機と素性を隠し、悪い言い方をすれば「うまく平民に成りすました」丑松。だけど、根っからの彼の正義が、彼自身をずっと責めるのだよな。そこにもってきての、猪子に対して自分が部落民と名乗れぬつらさ、罪の意識。苦悩する「市川雷蔵」はなぜにこうも美しいのだろう。
そして、カミングアウトしたあとの丑松のすがすがしいほどの決意。ラストの決意も決別も、原作ほど不自然ではなかった。むしろ、とても現実的で希望に満ちていた。なにより、子供たちのいじらしいまなざしと、それに応える丑松の言葉が印象的だった。

栗太郎