劇場公開日 1956年11月20日

「日本最初のフェミニスト映画と言うと言い過ぎでしょうか?」流れる あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5日本最初のフェミニスト映画と言うと言い過ぎでしょうか?

2020年1月7日
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鑑賞方法:DVD/BD

流れる
東京柳橋の隅田川
その川の流れが冒頭とラストシーンに写されます
それを時の流れに凝らしてあります

戦後花柳界が消え去っていこうとすることを
つたの屋の女性たちもまた時の流れにさらされていくさまをも指し示している題名です

そしてまた、どの登場人物の女性達も、男にはつなぎ留められてはいません
男に愛を求めてはいても、彼女なりの考えのまま、流れて生きていくのです
例外は栗島すみ子が演じるお浜ねえさんだけです

杉村春子の演じる染香は高峰秀子が演じる勝代に言い返します
女は男はいらないてホントですか?!と

そんな訳はないと断言していますが、染香の旧来の女性の価値観が、勝代の新しい女性の価値観に押し流されていくシーンでもありました

田中絹代が演じる女中の梨花の目を通して、物語は進行します
彼女は主人と子供を相次いで亡くして、否応なく新しい女性の価値観で働かざるを得ないのですが、それは元から彼女の望みのようでもあります
そもそも彼女は言葉遣い、立ち振る舞い、気働きから推察して、育ちも良く高い教育を受けた女性のようです

お浜から、新しい店を任せたいといわれて彼女は不安を口実に断りますが、本当はお浜が象徴する女を武器にしてでも生きて行くことも必要な運命を嫌ったようです

しかし結局は、このつたの屋の女達の流れる様を見て、このまま流れに身をまかせるのでは駄目だ、結局納骨を口実に田舎に帰り、親戚を頼って誰かの庇護をもとめざるを得ないだろうとも諦めたようです

女性が独りで生きていくこと
それを流れると表現しているのだと思いました
どのような考え方で生きていくのか
それもまた時の流れで変わっていくのでしょう

子供達、仕込みさんと呼ばれる芸者の養成の光景は、その流れの中で女が溺れず生きて行く為の水泳教室のようでもありました

そのように捉えて観ると、本作は60年も昔の特殊な世界の話ではなく、30代、40代の未婚の女性が当たり前になった現代にこそ観るべき価値と意味が在るように思えます

日本最初のフェミニスト映画と言うと言い過ぎでしょうか?

三大スター女優共演
田中絹代 47歳 劇中では45歳の設定
山田五十鈴 39歳
高峰秀子 32歳

脇を固める二大女優
杉村春子 50歳
岡田茉莉子 23歳

駄目押しの抑えに
栗島すみ子 54歳

強烈な名演合戦で酔いしれました
特に栗島すみ子の迫力には恐れ入りました
流石、日本最初の映画女優のスターです
彼女が登場するシーンの締まり具合は半端では有りません

田中絹代ファンなので、彼女の上品な言葉遣いにはきゅんきゅんしました
言いにくいからお春さんにしとくと言われて、
いかようにも呼びになられまして、と笑顔で返すシーンは特に萌えました

柳橋は総武線浅草橋駅の辺りです
かって柳橋は、芳町、新橋、赤坂、神楽坂、浅草に並んで六花街の一つに数えられ、柳橋芸者のほうが新橋より格上とされていたそうです
つまり東京一の花街です
そこがもっとも早く消滅してしまったのですから、時の流れは非情なものです

東京一の花街柳橋が消滅したのは、劇中にも登場する隅田川の低い堤防が、伊勢湾台風での名古屋の大水害を受け危険とされ、景観を台無しにする背の高い通称カミソリ堤防が急速に作られたのも原因の一つとのことです
伊勢湾台風は本作の3年後1959年のことです
でも、これが無かったら2019年のような大型台風の時には、二子玉川以上の水害がここで起こっていたでしょう

今では微かに料理屋の跡が一二軒残るのみです
神田川と隅田川の合流部分に架かっているのが、劇中にも登場するアーチ鉄橋の柳橋です
橋のたもとに柳の木もあります

あき240