劇場公開日 1953年11月3日

「時の流れ。大河のごとく。」東京物語 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5時の流れ。大河のごとく。

2023年8月7日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

単純

知的

難しい

「家族を描いた映画」と聞いていた。だから、ほのぼの系の家族称賛の映画かと思っていた。
 いや、シビア、シビア。
 昨今のいろいろな家族を見ていると、これが「家族崩壊」と言われると「甘い」と思ってしまうが、確かに”大家族”が崩壊している有様を、実に巧妙にとらえている。大家族から核家族に移行していく時代を切り取っている。
 それゆえに、人によっては家族とは何なのだろう、自己実現との兼ね合いを考えさせられる。

郷愁を誘う。
 この映画では、両親が子どもたちの住む東京を訪ねる顛末から始まるが、私は小学生から中学生にかけて、父の田舎に帰省した日々を思い出してしまった。
 小学生から中学生になると、周りの大人が忙しそうにしていることにも気づき、いとこ達も部活や自分の友達と遊ぶことが優先になって、一人ぽつねんと居場所を見つけられなかったあの時間。田舎の親戚も、せっかく帰省した私たちを気遣って、近くの行楽地等に連れて行ってくれるものの、お盆休みのない職業に従事していた人々も多く、日常の近所付き合いもあり、帰省期間、毎日がお祭りだったわけでもない。勝手知ったる土地でもなし、親戚の家からそう離れることもできず、この映画の老夫婦みたいに、家の中に居場所を見つけられず、わずかにわかる場所をふらふらと。”嫁”の立場の母は、この映画の長男の嫁のように、親戚の手前、「いい子にしていないさい」とヒステリックになり、次男の嫁のごとく、田舎の舅・姑に尽くす。父といえば、久しぶりの実家なので、トドのように動かず。母をかばいもせず。親戚同士の歯に衣着せぬ物言いを聞き。
 そんな居心地の悪さを思い出した。

そして、今。
 どの方も指摘なさっているが、鑑賞する年代によって、老両親に感情移入したり、子ども世代に感情移入したり。
 親が来てそれなりのことをしてあげたい気持ちはあるものの、日常との兼ね合いが優先されてしまう子どもたち。
 特に長男は町医者で、今のような診療時間などなく、患者がいれば、往診に行く。その犠牲になっているのは、老両親だけでなく、長男の子どもたち(孫)。休日診療とか、救急車も今のようには整っておらず、町医者が頼り。
 長男の嫁は、舅・姑のために尽くしたい気持ちはあるが、夫に止められる。アテンドしようかと提案した時に、「いいよ。お前が(家に)いなけりゃ困るだろ」との言葉。夫の意思を無視して動かない当時の理想の嫁。夫に頼りにされているととるか、舅・姑や子どもたちの喜ぶ顔が見たいのにわかってくれないととるか。複雑だが、最後の老夫婦の言葉を聞くと、長男の嫁って損だなあと思ってしまう。
 長女も美容室の経営者。店だけでなく、寄り合いに忙しい。商店街の寄り合いか、技術向上の同業者同士の寄り合いか。どちらにしても、その土地で生きていくためには邪険にできないつきあい。
 長女の婿は、寄席のようなところに連れていく、銭湯に付き合う等、おもてなしをしているが、妻である長女と喧嘩してまで、舅・姑のためには動かない。老両親には悪いが、妻を立てるあたり、家庭円満の秘訣である。
 電話でもあれば、お互いの都合をつけて上京できたのであろうが、尾道と東京のやり取りは電報のみ。突然上京されて困った面々の動きが丁寧に率直に描かれる。田舎のように、部屋が有り余っているわけではないのも混乱に拍車をかける。
 会社勤めの次男の嫁が、自分に任された仕事の都合をつけて(この頃有休ってあったのか?)、老夫婦の相手をする。上司に、仕事の進捗状況を確認されるあたりがリアル。まだ、結婚とは”家”に嫁ぐという意識が濃厚な時代。そういう親戚づきあいをきちんとできるのが女性の嗜みとされた時代。
 大阪にいる三男は、列車の中で具合の悪くなった母と、付き添っている父のために、仕事中抜け出して手当できるが、出張で大切な電報を受け取れず、後手後手になってしまう。
 老両親と同居している次女は、勤務中に、両親の様子を見に来れているおおらかな時代。今なら、介護申請とか、有休を使ってと手続きを踏まなければできないだろう。時間の流れが、この時代でも東京と尾道では違う。
 そんな登場人物のやり取りが、必要最低限に切り取られて、映画が進んでいく。

人物造形はある一種の典型。
 おっとりとした長男。独楽鼠のように動く長女。理想的な嫁として描かれる次男の嫁。長男の嫁がしっかりして隙がないのとの対比も際立つ。一人大阪にいる糸の切れたような三男。まだ世間を知らぬ甘さを持つ末っ子次女。
 それぞれ子どもたちの配偶者との出会い等は想像がつかぬが、尾道で家族7人で暮らしていたころがしのばれる。教育関係の役職等にもついていたが、若いころにはお酒の失敗もあった父のフォローや、幼い弟妹の世話を、母を助けて長女がしていたのであろう。そのそばで、一家の跡取りである長男は勉強に励んでいたのか。農業・漁業等、家を”継ぐ”職業ではなかったから、東京に出て大学で勉強してそのまま医院を開いたのか。医者として従軍して、そのまま東京にいついたのか。
 まだ、兄弟の序列がはっきりしている。一番しっかりしてそうな長女は、常に長男に相談し、了承を得る。次女は兄姉に文句があっても面と向かっては文句を言えない。両親を見ているのだから一番強くたっていいのに。
 反対に、次男の嫁の背景は見えない。尾道には行ったことがない様子なので、次男とは東京で知り合ったのか。東京空襲で親族が亡くなって天涯孤独?親戚や近所の人の口利きで縁談が来るケースが多かったと聞く時代に、そういう世話を焼いてくれる人は身近にいない?一人で暮らしていくより二人の方が経済的だからという理由で結婚する人が多かった頃と聞くが、一人で自活できるキャリアウーマン。そんな風に考えると、紀子のこの先の不安と期待や、舅・姑への思いも身に迫ってくる。

映画は、ひと夏の思い出として尾道の情景を描いて幕を閉じるのかと思えば、急展開。前振りはあったが。
 この時のやり取りも、あるあるが満載。移動時間だけでなく、帰省にかかる費用も、自営業者の長男・長女は頭の中でそろばんをはじいているに違いない。とはいえ、親の一大事。結局、親をとる。たかが、されど”喪服”。世間の手前、役職者だった父の顔をつぶすような真似もできない。喪主としてみっともないものは着られない。ファストファッションの店なんて論外だし、そもそも店がない。レンタル業者もおらず、借りるとなったら、近所の方のをしかない。画上の都合か、長男の嫁・孫、長女の婿は来ず。
 不思議なのは、東京訪問時の次男の嫁の有様からすれば、「危篤」の電話を受けた後、すぐに帰省するための行動に移すのかと思えば、紀子はいったん机に戻って、思案する。何を思案していたのだろうか。母の東京ラストでのやりとりや、映画最後の方の父とのやり取りが頭をかすめてしまう。

昨日と明日が同じで、今の生活を続けることに余念のない長男・長女・三男・次女。
同じく独り身となった次男の嫁と、父。同じ境遇ながら、二人の思いは分かれる。若い次男の嫁は未来を見つめだし、それゆえの不安・捨てがたい情・自分に張られた過度な評価の中で葛藤する。父は過去の中に置き去りにされる。最後の言葉が身に染みる。

そんな人生の一コマを淡々と描いた映画。”死”さえも、特別なことではなく、日常の通過儀礼のごとく。けっしてドラマチックに描かない。
 なのに、この家族のこれまでと、これからが大河ドラマのように浮かび出てくる。”ある”家族の”ある”が”The”でもあり、”a”でもあり。
 戦争未亡人に、過去にとらわれるんじゃなく、新しい人生をつかむように背中を押す言葉。それだけでも、心をわしづかみにされる。日本だけでなく、各国にいる未亡人や未亡人にかかわる人はどんな思いで、このやり取りを聞いたのだろう。
 その言葉だけでなく、親の有様。東野氏演じる沼田とのやり取りで、親にも親のうっぷんはあれど、それは直接子どもたちには伝えない。熱海の出来事でさえ「よかった」のみ。
 文句はあれど、子どもたちのすべてを包み込むような両親の存在が、ファンタジーで癒される。
 一つ一つのシーンを見ていると、かなりシビアなのだが。

特筆すべきは、こんなスローテンポで物語が進むと、途中で眠くなってしまうのだが、この映画ではそうならない。
 緩やかに始まるが、どんどん出てくる毒。次に長女が何をしてくれるのか待ってしまう自分がいる。血がつながり、家を出るまでは良いことも悪いことも共にしていた気の置けなさ。そんなきつさだけだと飽きてしまうが、嫁の立場を守り、清涼剤のような次男の嫁。両親のおおようさ。暖簾に腕押しの長男と長女の婿。舞台は下町。どことなく気ぜわしさも漂う。凝縮された、光と影、長男家の炊事場がその雰囲気を表す。
 熱海の昼と夜の落差。今ならある程度遮音の個室だが、当時は襖一枚。外には流しの音楽隊。夫唱婦随を地で行く夫婦。だからこそ、その動きがシンクロして、コントのような笑いを誘う。
 原さんのたおやかさ・控えめな上品さがよく取りざたされるが、いろいろなタイプの女性も出てくる。おっとりとした母。眉間に皺寄せた長男の嫁。世話焼きの長女。世間知らずな次女。酔客のあしらいのうまい女将。腕まくりして、頭にカーラーをつけ、女性も麻雀に参戦。他にもいろいろ。
 映像の美しさも際立つ。よくローアングルとか解説にある。正直よくわからないが、ある場面ー例えば長男の家の炊事場。人を追いかけるのではなく、その画面に次から次に人が入り、出てとまるで舞台を見ているよう。かえってダイナミックに感じ、次何が起こるのか、わくわくさせられる。
 解説にも、計算しつくされた映像とよく読むが確かに。
 なのに、”淡々と”映画は進む。

主役は、笠さんと原さんと紹介される。
 確かに、前述のように、未来を見つめる紀子と枯れていくだけの周吉の対比とすれば、老親と嫁の心の交流だけに焦点を当てれば、この二人が主役なのだろうけれど。
 この映画の世界観を作っているのは、周吉ととみ。登場人物総てを包み込む、この二人の雰囲気がなかったら、観賞後感が全く異なってくる。おっとりとした夫唱婦随がなかったら、最後の言葉は響いてこない。
 シビアすぎるほどにリアルに描きながら、どこか生だけでなく死でさえも、どんな思いも包み込んでしまう映画。
 魔法にかけられたようだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

風俗にも目を見張る。
 赤ちゃんが食卓カバーのような蚊帳の中で寝ている。動いている。
 紀子の家の共同炊事場。
 浴衣の寝巻のままで、ドアを開けてしまうんだ…。
 他にも、音声解説を聞くと、今はすたれてしまったが、昔はどの家でも持っていた、玄関に提灯とか、こだわった意匠があるという。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

DVDには音声解説がついていたが、本編と解説の声がごっちゃになって聞き取りづらかった。笠さんも出席されていたが、ほとんど発言なく…。損した気分…。
 だから-0.5しているわけではないが。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鑑賞すればするほど、いろいろな思いが頭と心を駆け巡る。
なんて、映画だ。

とみいじょん
りかさんのコメント
2024年4月9日

こんばんは♪共感ありがとうございます😊
微に入り細に入り事細かに
素晴らしく表していただいたレビューです。シビアシビアの連続でした。現在とは違い色々不便な時代だから実子たちも大変だとは思いますが、
おおらかなご両親であるからこそ、観ていて辛かったです。母からしたら、お腹を痛めた子なのに、と思ってしまいます。

りか