劇場公開日 1957年4月30日

「家族、血」東京暮色 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5家族、血

2023年12月24日
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『東京物語』『晩春』同様に家族制度の陰陽をスケッチした傑作ドラマ。

妻に逃げられた父・笠智衆、夫と不仲の長女・原節子、風来坊気味の恋人に邪険にされる次女・有馬稲子。「普通の家族・恋人関係」から逸脱した者たちによって構成される杉山家は徐々に崩壊へと向かっていく。

戦後日本、家族神話は未だ有効だった。家族の一員の不在という欠落を抱えたまま前進していけるほど日本社会にリベラルな価値観は浸透していなかった。殊に母親の不在、兄の死、恋人の蒸発、堕胎といった複数の欠落を抱えていた次女・有馬稲子が死に向かって行ったことは必然だといえる。

小津作品の中でここまで劇的な(しかも死ぬべき年齢ではない者の)死が刻印された作品は珍しい。しかし彼女の小さな存在にのしかかったのは単なる個人的不幸にとどまらない、言うなれば近代日本文化史が築き上げてきた因業の集積だといえる。

とはいえ彼らの苦悩に対し「家族の形は一つではない」などといった現代的解決を処方することはあまり意味を成さない。というか、家族の形が一つではないという認識が一般的になってきた現代でさえ、家族という構造は未だ我々の生活に巨大な影を落としている。いくら思想的・法的に家族制度の解体を進めていったところで、我々がどこかの男女の性的結合を通じて生まれてきたという生理的事実や、身体的・精神的遺伝、またそこからくる「継承」の実感は決して拭い去ることができない。

有馬が蒸発した母親を憎むシーンで「私はあんな母親から生まれてきたから」といった嫌味を言うシーンがあるが、そこには家族制度という文化的枠組みの根本、つまり血の因果という問題が露呈している。

血に対する不信(裏を返せば信用)は思想や法律の埒外にある。どれだけ社会が「家族なんか重要じゃないよ」とエンパワーメントしたところで、私はこの人の血を継いでいる、という実感は覆りようがない。

終盤、有馬稲子がその実母役の山田五十鈴に「あなたは本当の母親か?」と尋ねるシーンがある。山田は「血の繋がりだけは本物だ、信じてほしい」と念を押す一方、有馬はそのことにかえってショックを受ける。血縁に対する認識が真逆にすれ違う印象的なシーンだが、どちらも血という繋がりを重要視しているという点において本質的に変わらない。

つまるところ本作が目を向ける「家族」とは、より正確にいえばさらにその内奥にあるもの、すなわち「血」なのではないかと思う。

ラスト、家庭に一人取り残された笠智衆が出勤の支度をするシーンでは、無人の廊下が何度か映し出される。強烈な不在のイメージ。次いでネクタイを締める笠智衆のもとへ家政婦の女が近づいてくる。ここの違和感はすごい。その家庭に属するものではない者、つまり非血縁者が家庭に闖入してくる不気味さ。会話もそっけなく、笠智衆は彼女に「時間になったら帰ってくれていいから」と声をかける。家政婦は「はあ」と返事する。

たとえ家族制度を否定しても、血縁を否定することは容易ではないということが如実に表れた決定的シーンであったように感じた。

因果