劇場公開日 1966年4月10日

「矛盾も違和感も吹っ飛ばす映画的快感」東京流れ者 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0矛盾も違和感も吹っ飛ばす映画的快感

2023年8月11日
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ディミアン・チャゼルが『ラ・ラ・ランド』にて密かなオマージュを捧げていたことでも有名な鈴木清順のヤクザ映画。いくら巷間で楽曲のタイアップ映画が流行っていたとはいえ鈴木清順にメガホンを取らせる冒険ぶりには当惑せざるを得ない(大島渚の『帰ってきたヨッパライ』もなかなかのものだったが…)。

60年代後半から70年代初頭にかけての「任侠」から「実録」へとヤクザ映画の重心が移行しつつあった頃にありがちな、人情とリアリズムを往還するような物語には既視感しかないが、色彩やオブジェクトの配置、セリフの行間といった技巧の点に関しては唯一無二のヤクザ映画と評せる。饒舌な長回しからスピード感のあるマッチカットまでなんでもこなす器用さにも毎度ながら恐れ入る。

終盤、軟禁された歌手の千春を助けに来た青年がヤクザに銃を当てられ、ピアノの上に座らされたかと思いきや次のカットでは青年が盤に指を置きメロディを奏で始める一連のシークエンスには仰天した。物語や行為としての矛盾や違和感を、それを上回る映画的快感で上塗りしてしまう映像の力強さ。

それと、東北の真っ白な雪原を駆けずり回る水色ジャケットの渡哲也。単に色彩がバチバチしているだけの映画であれば昨今でもままみられるが、本作ではそれらが周囲の空白や人物との間に必然性のある緊張関係を取り結んでいる。色彩の不在がそのまま画面の死となるのではないかと思わせるギリギリの画。それでいて及び腰な感じは全くしないので、こちらとしてもいけ好かない60年代のブルジョア大学生的スノビズムを警戒せずに陶酔できるというもの。

そう、鈴木清順って意外と気楽に見られるのがいいんすよね。割と身体的な部分で映画を撮ってて、なおかつそれが高水準で成功している。矛盾した言い方にはなるが、「衒いのない衒い」を実現できている。そんなのはやろうと思ってもできることじゃないからすごい。

因果