劇場公開日 1984年12月15日

「演じる者の悲劇」Wの悲劇 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0演じる者の悲劇

2022年3月4日
iPhoneアプリから投稿

劇団「海」研究生の静香はある不安を抱えている。現実世界でどれだけ衝撃的なできごとがあっても、それを反射的に悲しんだり怒ったりするより先に、そこにおいてありうべき振る舞いを冷徹に判断する「もうひとりの自分」が現出する、という不安だ。

たとえば飼っていた犬が死んだとして、涙を流すことより先に「ここで涙を流せたら素晴らしいだろうな」という打算が頭をよぎってしまう感じ。フィクションに多少なり携わったことのある人だったらこの感覚はすごくわかるんじゃないか。

しかしここでの「素晴らしい」の主語は観客、つまり他者に他ならない。何をやっても常に他者存在というノイズに邪魔をされ、自分ごとを自分ごととして純粋に引き受けられないのだ。このような自分自身の審級より他者の審級が優先される状態が続けば、当然ながら自分の言葉や行為からは重みが抜けていく。

何かを真に迫って演じる、という演劇の世界で生きる静香にとってそれは絶望そのものだろう。何を演じても重みが生まれないのだから。

静香は公演『Wの悲劇』で一介の女中役を務めていたのだが、先輩女優の不倫スキャンダルを肩代わりしたことで主演女優の座を譲ってもらう。

記者会見の折、静香は先輩女優の不倫相手である大物経営者との関係をマスコミに問い詰められる。しかし静香は物怖じせず、大物経営者との存在しない思い出を情感豊かに語ってみせる。底意地の悪いマスコミの面々も、彼女の鬼気迫る語りに圧倒されてしまう。

後日、彼女を主演に据えた『Wの悲劇』が上演され、公演は大喝采の中に幕を閉じた。しかし直後、先輩女優の思惑によって主演を罷免された女がマスコミの前で全ての真相を暴露してしまう。静香はやっとのことでしがみついたスターダムから再び転げ落ちてしまう。

それでも静香は演劇をやめなかった。ラストシーンで彼女は自分に好意を寄せる男のことを潔くフった。「男の庇護下に入る」という退路を自ら絶ってみせた。

演じることによってかえって演技にリアリティがなくなるという不安。それを静香は「逃避」ではなく「包摂」によって解決しようとした。つまり自分の演技にはリアリティがないことを引き受けたうえで、なおも演劇の世界で生きていくことを決断したのだ。

正直言ってこれはかなり見込みのない選択だ。絶望と手を取りながら前に進んでいくというのはどう考えたって辛く苦しいし、演劇の世界もまたそのような個人的事情を鑑みてくれるほど甘くはない。終盤で静香が天井に貼り付けた『Wの悲劇』のポスターを剥がそうと何度も何度もジャンプするシーンは、芸能界の厳しさを暗示している。

しかしその一方で、静香が嘘の愛人を演じることでマスコミに一泡吹かせたり、『Wの悲劇』の主演を務めて拍手喝采を浴びたりしたことは紛れもない事実だ。「もうひとりの自分」を抱えながら演技に生きることは、必ずしも辛く苦しいばかりではない。

華々しい世界の舞台裏的リアリズムを鬱々と描き出しつつも、同時に一縷の希望を敷設する脚本の優しさに感動した。

因果