モスラ対ゴジラのレビュー・感想・評価
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昭和モスラ三部作
この映画はゴジラ映画として認識されているが、「モスラ」「三大怪獣地球最大の決戦」を前後にモスラ三部作として鑑賞するとしっくりくる。ピーナッツが出てるのもこの三本だけだし。
ゴジラは造形も暴れ方もこの映画が一番かっこいい。冒頭にモスラ三部作と言っておいてなんだが、この映画は暴れるゴジラを見るのが一番。悪役の設定もゴジラの魅力を引き出している。二作目で大阪城、三作目で熱海城を壊しておいて、名古屋では当然名古屋城を破壊する。成虫モスラとのバトルはキングコング、怪獣大戦争と並んでゴジラシリーズの白眉。
タイトルなし
古典作品のレビューて難しい。
・今の時代から見たら稚拙な合成技術、釣り糸やラジコン用の線が見えちゃう点、明らかに人が入ってる動きのゴジラ…。一方でCGにない特撮特有の表現(波とか砂ぼこり、風、爆発など)、実写か特撮か区別がつかないシーンがたびたびでてくる程度にデティールの細かい模型。
・怪獣バトルとしてはいまいち盛り上がりにかける気がするけど、この作品があったからこそ後々のモスラ作品があること、後々の作品のオマージュ元であることを考えると記念碑的な評価をすべきなのか。ゴジラオタク的には噛めば噛むほど味わいが出るんだろうと思うけど…。
・戦車や戦闘機とゴジラのバトル、シン・ゴジラを監督が見たら「これがやりたかったんだ!」とさぞ喜んだだろうなと。監督に今の技術をもって撮らせたらどんな作品ができただろうと思う一方で、本作品がなければシン・ゴジラもなかった点でやはり古典として見るべきなんだろう。
・ただ脳みそ空っぽにして怪獣バトル楽しみたいだけなら正直消化不良感。古典作品はなかなか難しい…。
東宝特撮はガラパゴスに陥り進歩を止めてしまいつつあった
キングコングに続くゴジラの怪獣対戦路線の第2作目
ゴジラとは興行の為にあると、再定義されてその路線に基づいて作られている
それ以下でもそれ以上でもない
伊福部昭の冒頭のスタッフロールにかぶさるテーマ音楽が一番素晴らしい
特撮は精緻を極めるミニチュアセット、着ぐるみゴジラ、繰演によるモスラ、戦闘機
いつもながら見事な出来映えだ
しかし、逆に言うと進歩は余りみられない
海外では東宝特撮を研究して、どこをどうすれば凌駕する特撮映像を撮れるのか、その成果が現れ始めていた年が本作公開の1964年という年だったのだ
米国ではアーウィン・アレンが原子力潜水艦シービュー号を製作し、テレビ放映が始まっていたのだ
大きな潜水艦などのメカ模型を大型プールを走らせて撮影するのは東宝特撮と変わりはしない
しかし太陽光の下で撮影して、さらにレンズや露光に工夫を凝らしており、それが実物感や巨大感を生み出しており、東宝特撮に欠けているものは何かに一つの回答を見せている
英国ではジェリー・アンダーソンがスーパーマリオネットと呼ばれた人形劇を1957年から作っていたが、特撮ははっきりいってちゃちなものだった
それがこの1964年になると海底大戦争 スティングレイをテレビ放映している
ミニチュアセットや模型のメカのレベルが格段に上がっていたのだ
まず美術デザインが近代的にリファインされ、東宝特撮の小松崎茂テイストを完全に時代遅れなものにしつつあった
そしてウェザリング
メカや建物などにはその表面的に必ず使用状況による汚れがあるもので、それを再現する事がリアルさ実物感や巨大感を生み出すことを発見して実践しだしている
爆発シーンも独自の工夫を凝らして、東宝特撮とは違う本物らしさのある爆発シーンを作り出している
もちろんカメラのレンズやスロー撮影などの工夫も明らかに成果を生み出してきつつあったのだ
そして、それは翌年の1965年特撮界の金字塔サンダーバードに結実するのだ
しかし、海外のライバル達が回答を出し始めた重要な時期に、東宝特撮はガラパゴスに陥り進歩を止めてしまったのだ
本作はこの年のゴールデンウィークの公開だ
そしてさらに夏には宇宙大怪獣ドゴラ、年末には三大怪獣 地球最大の決戦と、1964年に怪獣映画は3本も製作されていたのだ
怪獣ブーム、言い方を変えればバブルだ
特撮映画において、特撮技術はエンジンそのものだ
そこに進歩があって初めて新しい映像が生まれ、画期的な物語を紡ぐことができるのだ
そのつけが回ってくるのはまだしばらく先の事になる
マハラ・モスラ
前作『モスラ』では言語学者だった小泉博が生物学博士の三浦となっている。漂流したカラフルな卵は漁協から熊山(田島義文)ハッピー工業社長が122万円で買い取った。実業家の虎畑(佐原健二)なんてのはその巨大卵で10億(現在の100億?)稼ごうという強欲さだ。その密談中、「卵を返してください」と小美人が声をかける。そんなお願いを素直に聞くわけもなく、とりあえず親モスラと小美人が帰っていった。
そんな折、放射能汚染地域からゴジラが登場。名古屋を襲ったゴジラに対し、モスラの力を借りようと、毎朝新聞社のデスクが記者の酒井(宝田明)、中西(星由里子)、三浦にインファント島行きを命じる。現地人たちはモスラの卵を返さないこともあり、原爆をもてあそんだ人を許さない(多分、ロリシカ国に対する怒り)。しかし、小美人がモスラに直接尋ねたところ、年老いたモスラは力を貸してもいいと答える。
ゴジラは執拗にモスラの卵を壊そうと(?)しているところにモスラ登場。ゴジラの首が座ってないように思えるのだが、この時のゴジラは赤ん坊だったのか?そのため放射能攻撃も不安定でモスラに直接当たることはない。しかし、モスラは老いのために毒の粉を吐きながら死んでしまうのだ。ゴジラに対する防衛隊は高圧放電攻撃を仕掛けるが電圧を上げすぎたために焼き切れてしまう。
そんな時、卵からはモスラが孵った。しかも小美人と同じく双子だ!彼らは離島である岩島での決闘することになるが、残された女子先生と生徒たちには何故だか『二十四の瞳』を感じさせる。子供は9人だったような気もしたが。
キラーソングとも言うべき「モスラの歌」は聞けないが、モスラが登場してからはザ・ピーナッツが歌う「マハラ・モスラ」がずっと流れている。
平成版よりも面白いよ
昭和版では幼虫がゴジラを倒すのかwww中々面白かった。今観ると戦闘シーンとかしょぼいけど、ちゃんとサスペンスがあるから飽きずに観れる。 そりゃまあ、自衛隊の戦車や戦闘機がラジコンなのはミエミエだし、CGがない時代だから怪獣の戦闘シーンは着ぐるみを着たおっさんが暴れているようにしか見えないよ。 でもね。主演俳優が、「自然を守れ!」というクソだっさいセリフを連発する(まるで小学校の性教育のビデオみたいな)平成版の「ゴジラ対モスラ」よりは、本作の方が好きだ。 ラストシーン。ゴジラを倒した後でモスラが去っていくシーン。「(モスラは)もう帰ってしまうのか。せめてお礼ぐらい言わなくちゃ。」と男が言った後、主演の宝田明が「いやぁ。あの人たちへのお礼は、我々が良い世界を作ることだ」。 その通りだよ!映画の中で、正論など言わなくて良いからさ!映画人であれば良い映画を作れ!(偉そうで申し訳ありません)
とにかくモスラ優しすぎ。
ついでに健気すぎ。小美人もインファント島民も、あんなブン屋のねーちゃんの演説ごときで懐柔されるなんて人が良すぎる。お陰で日本はゴジラの脅威から救われるわけだけど、まったく一方的に利用しただけなわけでなんとも後味が悪い。
ただ、ゴジラの登場シーンは滅法かっこいいので、あのシーンのためだけでも十分に観る価値はあると思う。名古屋上陸以降はとんでもないドジっ子ぶりで笑っちゃったけど。あと、高度経済成長期らしい社会風刺も効いていて、いま観ても思いのほか楽しめた。
モスラ、ええ奴やん。 ゴジラ、悪い奴やん。 今、その名を轟かせてい...
モスラ、ええ奴やん。
ゴジラ、悪い奴やん。
今、その名を轟かせているのはゴジラ。やはり怪獣は悪でなくてはならぬのか。
すぐ南海の孤島、そして着色した、日本語喋る原住民を出すんじゃない(笑)にしても、この頃からはや原子力、放射能は危険視されてたんですね。
最後の島の子、女の子ばっかりやん。おいおい、幼虫、強すぎやないかーい!ツッコミどころは満載。ヒロイン星由里子が個人的には…
ザ・ピーナッツの名曲、モスラをしばらく歌うことになります(笑)
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