劇場公開日 1983年10月29日

「キュルルキュ」魚影の群れ Kjさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0キュルルキュ

2021年1月30日
iPhoneアプリから投稿

耳を引っ掻くようなテグスの擦れる音が恐怖である。カメラが横に少しずれて既に取り返しのつかない大惨事をとらえる。突きつけられる事態。おそらく親父は何をするのが娘の彼氏にとっての解なのか用意などなかったのだろう。男のロマンなどはない、柔軟になれぬ不器用さが男に残酷な罪を背負わされる。現実に背を向けて自分の世界に逃げ込む。マグロを手繰り寄せる下りの長回しはドキュメンタリーのようでもあり、緒形拳の船から乗り出す所作は演技の枠を超えたものであるが、ただ流れる虚しい時間が哀しい。
マグロと人間の区別がつかないとは前妻の言葉。娘の彼に会いに行けば相手の隙をみてマウントして、手まで出す始末の悪さ。体を任せて服を脱ぎ着させる姿は男女の役割分化が象徴されているが、むしろ分化したことで不能になってしまったようでもある。このまま死なれては男は何も果たせぬが、やれることを投げ出してやっても救われない残酷さ。娘の数え歌が響く。
佐藤浩一の家庭内レイプシーンは動物的で、腰のみが機能しているような眼は、何かを屈さなければ自らの存在確認できぬ虚ろな姿をよく表現している。どっしりと中央に位置する夏目雅子の存在感。濡れ場含めて十朱幸代も熱演。どこから撮っているのか考えれば楽しいカメラワークの数々。相米慎二らしさが活きた大作。

Kj