うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーのレビュー・感想・評価
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40年前にこの発想か、すごいかも
押井守の黎明期の名作と聞いて鑑賞。なるほど哲学風味とファンタジーの塩梅がいい。その後に影響を受けたであろう作品群も思い浮かぶ。ラムちゃんにリアリティー求めるのは無粋だが、没入はできなかった。
押井守味のうる星やつら。胡蝶の夢。
内容は、高橋留美子作品のうる星やつらの映画化。押井守監督・脚本が良くも悪くも感じられる。素晴らしい作品。夢がテーマの作品でセルアニメーションの極地とも言える素晴らしさ。40年前の作品とは思えない程の完成度。当時の人はこの作品に心底やられたらしい。それ程までに素晴らしい押井守味の映画です。
印象的な台詞は『好きな人を好きでいる為に自由でいたいのさ!』主人公諸星あたるの台詞。ラムへの深い呪いとも言える愛情が80年代を感じさせます。
印象的な場面は、一番最初の方に映る荒廃した友引町で、ほうけた主人公諸星あたるの顔が印象的でした。一番現実世界を望んだのは、主人公だったのかもと感じられる場面は、二度見する程素晴らしいです。
印象的な、状況はテーマの設定です。良くも悪くも押井守味の作品。考えさせられる難しいテーマは面白いです。実存主義・認識論・胡蝶の夢・ドグラマグラ・仏教感などをトレースしたホラー感たっぷりの印象は面白いです。
当時の映画館では観ることは出来なかった作品ですが、もう伝説に残る程の素晴らしい96分。三幕構成で基本をしっかり押さえながらも最後にタイトルの出る演出にはカタルシスを感じました。ビューティフル ドリーマーこの意味が心に深く響くセルアニメーションでは考えられない程の表現と内容には色褪せないものを感じます。
この映画のテーマは今この映画を楽しんで見ている一人一人に、今この時こそ夢かも知れないと伝えたい様でした。
『夢は見ている間はやけにリアルだからな』
『善悪は用いる人の心の中にあり。詭弁だ!』
『ラム抜きのハーレムなど不完全な夢!』
『わしが作るんはその人が見たい夢だけや!』
押井守味の台詞はその世界に引き込まれます。
傑作
どこか浮いたような不思議な感覚が全体を包む。
現実から切り離された解放感と閉塞感、喧騒と静けさ、あの頃に共有されていた確実で曖昧な空気。相反する様々な要素が、天才的作画とショットの連続で展開する。
風鈴が鳴り響く迷路に迷い込んたしのぶを、アパートの窓から見つめる男は誰?
終わらない夢のような学生運動に明け暮れながら、大きな時代の流れとともに青春の時代が終焉を迎えることを察知している。迷路の出口を探すあの頃の自分を、時空を超えて見つめているもう一人の自分のようだった。
夢が終わり廃人のようになった冒頭のあたるの表情、小さなラムから「責任取ってね」と告げられたショッキングなシーンは、もうトラウマ級のホラーだった。
さて。お馴染みのキャラたちに、あるべきコードに従ったセリフを言わせながら、押井はそのフォーマットを使って自らの精神の自由を提示した。
原作がこの上ない魅力と包容力を持つからこそ、原作のアイデアに溺れず、押井は自分自身の才気を十全に発揮できたのだと思った。天才留美子の天才押井バージョン。いやもう最高でしょ
かなりいい
コメディゆえの自由さがかなりいい。
ドラえもんやコナンよりクレヨンしんちゃんの映画の方がクリエイティブな自由さがあって面白いのと似ている。
前半はややシリアスに進み真の原作ファンなら思ってたのと違う、みたいな感想になってしまう気もするが、あいにくただの映画好きとしてはそれはそれでいい
散々浦島太郎の話を出してからの、
なんとか逃げ出そうと飛行機で飛び出して、実は亀の背中の上だったというのが、絵面としても分かりやすく面白い。
サバイバル生活を挟んでからの、大枠の話の説明があり、
夢の連続へ。
あらゆる夢の中を連続で繰り返すのはインセプションで感じたのと同じワクワクがある。
最後にこれも夢?って感じで終わるのも同じ。
永遠の1時間36分
中学生の頃に劇場公開→その後のテレビ放送で見ました。当時は「難しいけど、感動した」と、テーマソングの「愛はブーメラン」の印象が強烈に残っていました。
そこから約40年近くたってアマプラで視聴可能に。
あぁ・・・・押井守監督は凄ぇぇ・・・・・
中学生当時以来なのでストーリーはほぼ憶えていなかったのですが「タイムリープで、ラムが鍵」だけは憶えていたので、そういう前提でラムの言動に注目をして見て楽しみました。
単純に言えば「夢落ち」です。
ラジオなどでは「夢の話」というのはタブーと言われています。荒唐無稽で証明しようがないのと、下手をするとオチが無い場合もあるから。
でも、この作品はその夢を絶妙に料理して、設定をとても緻密に練って「我々観客の現実」と「作品内での現実」と「作品内での夢の世界」の境界線が判らなくなってしまうような、不安定な感覚に陥らせます。
大人になり様々な『タイムリープ』作品を見てきたので、辛うじて話が理解が出来たのだが、当時「うる星やつら」というモチーフで、この構成を考えつき、完成させた押井守監督の力量と胆力が凄い。
夜、メンバーが謎を解くべく学校内に潜入し、混乱しラムがあたるを探すために校内を飛行するシーンはカットやカメラワークが凄かった。(スタッフに板野一郎のお名前があったのだけど、もしかしてこのシーンに関わっているのか?)
戦闘機に登場人物がしがみついて飛び出すシーンなどを筆頭に、良い意味でアニメ(漫画)の自由さとエンターテイメントがぎゅっと勢いよく詰まっている感じも良し○。パワフルさで細かな設定などを押し切るバランスの良さを感じました。
そして、この物語には判りやすい「悪役」は存在しないのだが、序盤の気味の悪い演出、「何かがおかしい?」と気がつきだした時の不安感、世界観が判った時の衝撃とそれを解決する「どうなっちゃうの??」というドキドキ感からのバクが一気に夢の世界を壊す開放感からのクライマックス。
そして、クライマックスを越えてラストシーンにタイトルがバーンと来てのEDイントロスタートの爽快感は実にジェットコースター的で凄いと思いました。悪役など必要無し。
「夢」ならば、一瞬だけど作品内では永遠的に繰り返し、でも現実は1時間36分・・・・不思議な感覚です。
「愛はブーメラン」はおぼろげではありましたが、ちょっと歌えて、思い出せて楽しかったですし、名曲ですね♪うん、本当に良い曲♪
やっぱり巨匠と言われる人の作品は、時代や国境や世代を超越する名作揃いなのだと思いました。
40年前の作画と思えない凄さ
異色の作品と聞いてたので、気になってましたがAmazonでたまたま配信されはじめたので、やっとみれました。
ストーリーはいろんなレビュアーが書いてるので書きませんが、驚いたのは作画でした。CGのない時代にあんなに立体的で躍動的な映像作りをしてる押井監督凄すぎです。それが自分が生まれる前の作品と言うのも信じられない作品でした。
ラムちゃんは大好きなんですが出番は少なめです。
ワタルは男そのものよ!
『ワタルはね!いい加減で卑しくて、女好きで浮気性でエゴイスト。男そのものよ。そりゃ、善人ではあるけどね。どうして、ワタルガ好きなの?』『周太郎だって変わらないチャ』『あら、少なくとも顔が良いわ』
しのぶの『少なくとも』って台詞いいね♥
『通りの神秘と憂愁』キリコ
『鏡地獄』江戸川乱歩
『変身』カフカ
実存哲学になっている。
公開後何年かしてレンタルビデオで見た。同じ時期に僕は、会社の企画部の様な所にいて、慰安会をあの浦安の『オリエン◯◯ランド』にした。本当は横浜の『ドリ◯ムランド』に行きたかったが、遠かったので諦めた。30世帯の家族が参加してくれて、好評だったが、会社からは怒られた。『何考えてんだ。予算オーバーじゃ』その企画はこのアニメーションの鑑賞が事の発端だ。懐かしい。
ストーリーはループする時間を現しているのに、一般的なループシーンはほとんど使われず、怠惰に時間が過ぎて行く。こんな『イッツ・ア・スモール・ワールド』にいつまでも居たい。そんな思いが浦安の『◯リエンタル◯ンド』の発想に行き着くのである。
改めて鑑賞して『少女終末旅行』は完全リスペクトだね。ユーリーとチトが迷い込む美術館の絵が出て来た。
そうそう、あのカビだらけの部屋は松本零士先生の『男おいど◯』
追伸
もう一つのテーマはナチス・◯◯◯の復活。つまり、『ファシズ◯の復活が、いずれある』と都市伝説が当時の世紀末思想と重なり、そんな考えがあったことを記憶する。だから、僕は『イッ◯・ア・スモ◯ル・ワ◯ルド』を否定的に捉えていた。『世界は小さいぜ』って誰かが言ってるって事かなぁ?
やっと観れました。
Amazonでやっと入ったので、
ついに名作と名高いビューティフルドリーマーを
観れました。
公開された1984年はナウシカも公開した年と言うこと
で、ワクワクしながら観たのだけど、
分かりやすいナウシカとは違い
正直どこが評価されてるのか分からなかった。
この無限とも思える壮大な世界観なのかな?
ちょっと当時夢中になった人の説明が欲しい。
この脚本をうる星やつらでやろうと思った
押井守監督はスゴいと思うし、
ゴーサインを出した高橋留美子さんも素晴らしい。
超過密スケジュールをこなしながら妄想を自由に組み立てて押井監督が暴...
超過密スケジュールをこなしながら妄想を自由に組み立てて押井監督が暴走して生み出した傑作。
大好きな作品『涼宮ハルヒの憂鬱』の世界観とも似ている。『ひぐらしのなく頃に』も大好きで、隔離された世界から抜け出す謎の世界系のアニメに目がない。最近ではMAPPA制作の『アリスとテレスのまぼろし工場』も近いものがあり好きだ。
ともかく、『うる星やつら』の登場人物が勢ぞろいし、もがきながらも現実世界に戻ろうとする姿を芸術的なテイストで描写されていて、わけがわからないストーリーよりもシチュエーションを楽しむ作品。
そもそも他の星から来たラムって設定だってわけがわからないんだし、氣にしない。
劇場版お約束(?)のラムのポロリシーンもあって滅茶苦茶で凄い。
おわりなき日常の恐怖映像
時間と空間がなくなるアクションシーンは物理法則無視の気持ちよさで、フィクションとは、映画とは、そしてその対比の日常とはを問うていく作品でした。
明らかにこの後の作品の方がスマートにその境目を映像で描いていたが、これはやはり1984年の映画なのでちゃんと楽しめました。
しかしこのメタ、メタ、メタ、は少しトゥーマッチかなぁと思ってしまったのもありました。
たぶん年をとったのでしょう
よくできたストーリーや思わせぶりなセリフ回し、マニアが好きそうな細かいアイテムがちりばめられていて、若い時分には尖っていて、カッコよくステキに思えたけれど、今となっては(もともとそのようなマンガ原作だけど) 煩いドタバタ具合や、古くさくて鼻につく、何となく肩に力の入った感じの声優さんのセリフ回しなどがむず痒い。決してつまらない作品ではないのだけど、まあ40年前の映画だからね。
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公開当時、原作者・高橋留美子を怒らせたらしいが、私はこの作品こそ、...
公開当時、原作者・高橋留美子を怒らせたらしいが、私はこの作品こそ、ある意味では「うる星やつらの本質」を原作以上に体現している作品だと思っている。
「うる星」の世界とはまさに「終わらない前夜祭」そのものであり、この作品がファンの叶わぬ作品世界への「現実逃避願望」を象徴しているという事を、他ならぬ原作者が理解でき ていなかったというのは皮肉としか言い様がない。その世界を作り出した張本人であるがゆえに、ファンの「求めているもの」との認識に乖離があったのだろう。アイドルが自分のファンにならない(なれない)のと同じようなものだ。
作中における「繰り返しの学園祭前夜」とは「永遠に続く非日常」の象徴であり、そしてその非日常性こそが「うる星」の世界を根底で支えている原動力=魅力であり、「いつまでも皆と一緒に楽しい時の中にいたい」というラムの願いは、そのままファンの願いの代弁でもあるのだ。
それに対し、ラストのあたるの「それは夢だ」というセリフは、「終わらない非日常」から「平凡な日常への回帰」を促すものであり、それは「どんな楽しい事にも終わりがあるからこそ意味がある」という示唆なのだろう。
恐らくアニメや漫画において、現実と虚構の境界を描く事でメタ視点において「ファンと作品との関係性」を問うた、初めての作品だろう。この作品が後に「エヴァ」や「ハルヒ」、「らきすた」等にも影響を与えているのは周知の通り。
他にもこの作品の魅力を語り出すとキリが無い。面堂の車で迷路のような暗闇の町を走る不安感、外へ出られないと分かった恐怖感、廃墟になった街を背景にバカンスを楽しむ背徳的な高揚感、謎を解きに夜の友引町にハリアーで飛び立つときの爽快感、そしてハリアーの先端にちょこんと座り、煌く星空と町の夜景の中、 緑の髪を靡かせながらこちらを振り返るラムの幻想的なシーンの美しさetc.etc。何度見てもワクワクさせてくれる我が青春の神作品。
ループ作品の原点にして頂点。
40年前の作品なのに、全く色褪せていない傑作。
私の中では「うる星やつら」はこの作品で完結している。そう思う程に、非常に完成度が高い。完成された芸術作品と言っても良い。
一点だけ、夢邪鬼が見せる悪夢のシーンは少し冗長だった感は残る。
だがそれ以外は本当に素晴らしい。
押井守ワールド!! 無限のタイムループからの脱出を謀る作戦だっちゃ!☆
高橋留美子先生の原作の漫画よりも
テレビアニメ放送していた当時の
押井守監督の世界観が色濃く表現されていました。
友引町のレトロな街並み、高校の学園祭
昭和時代を懐かしく思えるストーリーでした。
令和という娯楽が溢れた現代では面白くもなんともない
あんまり面白いと思いませんでした。似たような娯楽作品がゴロゴロある現代で、適応する作品かと言われればそうではないなと思いました。
ただ「うる星やつら」自体にわかですが、前半はそんな世界観壊されてなかったな、と思いましたが、見返したくなる程面白い作品とは言えませんでした。
友引町に舞い降りた悪夢…
うる星やつらは元々現代の高校を舞台にした宇宙人ラムと高校生あたるのSFラブコメ。そしてビューティフル・ドリーマーは高校の学園祭の前夜を舞台にしたSFホラーサスペンス。藤岡琢也は兵庫県姫路市出身なのでコテコテの大阪弁で夢邪鬼を演じてる。
押井守さんのうる星やつらです!
初鑑賞
タイトルからして夢オチを予告する良心的手法
Dr.スランプは原作もアニメも夢中になったがうる星やつらはそうでもなくあまり見なかった
なぜかはよくわからない
面白いのに
ラムちゃんがあたるに付き纏い電気ショックを浴びせる光景が子供の頃はダメだったのかもしれない
志村けんが若い頃に別れ話がもつれ包丁を持った女に追いかけられ甲州街道をしばらく走った逸話があるが似たようなものだろう
原作は『めぞん一刻』『らんま1/2』『犬夜叉』の高橋留美子
脚本と監督は『人狼 JIN-ROH』『機動警察パトレイバー』シリーズの押井守
押井守監督の代表作かつ出世作
第一作より第二作の方が評価が高い作品はわりとあるが日本のアニメではこれがその代表格
しかし原作者が怒り心頭に発する正真正銘の原作レイプの代表格
原作者が概ね満足していればファンの一部がいくら怒っても客観的にいって原作レイプではない
メキシコ旅行の際に久米田康治にもお土産を買ってくる優しい人が激怒するのだからよほどのことなんだろう
近いうち原作を読んで確認した方が良かろう
友引高校学園祭準備期間中
同じようなことを繰り返す毎日
帰宅しようにもなぜか街から出られなくなった
SFミステリーコメディー
巨大な亀の上に友引の街の光景
古代の人々が想像した世界観を彷彿させた
亀と居住スペースのあいだには象ではなく巨大な人間の石像が支えている
サクラが「2度目は悲劇 3度目は喜劇」と言っていたがこれはマルクスの名言で2度目3度目ではなくはじめ2度目が正しいのではないか
「暗いよー狭いよー怖いよー」の面堂終太郎
声を担当する神谷明やっぱり大好き
格が違う
一方でサクラの声を担当した鷲尾真知子
ドスのきいた声でいい味を出している
彼女をサクラの声としてスカウトの人はかなりの有能
神谷明を除くと一番印象に残っている
うる星やつらといえばラムちゃんあたる以上に面堂やサクラが印象深い
タクシードライバーとして重要なキーパーソン夢邪鬼としてなぜか藤岡琢也がゲスト出演
パトレイバーの竹中直人みたいなものだろう
あといくら高校生のノリとはいえ純喫茶第三帝国はヤバすぎる
遅れてきた青年が青春の学生運動の夢を総括
押井が政治好きなのは有名だと思うが、その原点は大学に入ったらキャンパスにはもはやヘルメットを被った各セクトの学生はいなかったということだろう。大江健三郎のいう「遅れてきた青年」。それが押井である。
その欲求不満を彼はさまざまな形で映像化しているが、もっともオリジンに近い具現化が本作ではないか。
高度成長の後、東西冷戦構造ががっちり固められた何一つ変わらない日本には、永遠なる日常の倦怠が支配する。
その倦怠を密かに打破したいという願望を、あろうことか永遠なる日常の代表作マンガの中で達成するという野望が、本作の最大の動機である。
映画はお馴染みの学園ドタバタ騒ぎで始まるものの、そもそも学園祭の前日が果てしなく続いているという設定だから、それが「終わりなき永遠なる日常」という現実の比喩であることは明らかだ。
ところが、雨上がりの通学路の水たまりに溺れてみると、永遠だった日常が突然、非日常の様相を呈し始める。
その果てにあるのが、階数がしょっちゅう変化する学校校舎や荒廃した世界の中で繰り広げられる非日常の自由と解放、無政府主義的全学連的安田講堂占拠的wな世界である。
本作のハイライトは、間違いなくメガネが語る似非革命コミューンの年代記だろう。それ以外のカメや夢邪鬼やらのエピソードは、単なる辻褄合わせに過ぎない。
学生運動で存分に遊んだ押井は、最後に日常に戻らなければならない。青春は終わった。そろそろ現実に戻って、人々とちゃんと向き合って、付き合った女性にも責任を取らないといけない。
押井はそうした私的思い入れを、ラムの「責任取ってね」のセリフで示唆している。交際女性の妊娠でも連想させるかのように、わざわざラムを幼女の姿にまでして…。その意味で本作は、彼の青春の「総括」なのである。
高橋留美子がそれに気づかないはずがない。自分の作品の中で、他人に勝手に青春の総括などされてはたまったものではない。原作者激怒必至の怪作というしかあるまいw
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