劇場公開日 2008年4月26日

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「もし自分が身近な愛する人を失くしてしまったら」あの空をおぼえてる 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5もし自分が身近な愛する人を失くしてしまったら

2008年4月1日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 もし自分が身近な愛する人を失くしてしまったらという喪失感をテーマにした作品です。最近の映画でも多いパターンではあります。
 ただこの作品の面白いと思ったところは、子供が思うほど、大人は強くなく、大人が思うほど子供は弱くないと言うことでした。人の死を数多く見てきた大人の方が、娘を事故で失ったとき、取り乱してしまうのに、子供の方は悲しみを表に出さずひとりで耐えようとするのです。
 辛い現実を受け入れない父親は、家族にも八つ当たり。口論のあげく母親は、家を出てしまう。そんに立ち直れない両親が、見つけたのはわが子の意外な気遣いだったのです。 死んだ妹あてに綴られたわが子の手紙から、どんなに悲しい思いを封印して、けなげに何事もなかったように普段通りの表情を取り繕ってきたか、思い知らされることになります。そんなわが子の思いが、悲しみにとりつかれた両親の心を氷解し、家族の絆を深めていくのでした。

 妹と同じ事故に遭って、自分だけが生き残ってしまった罪の意識。少年の心には、それがどれだけ思い現実として覆い被さっていたかしれません。しかも夢の中では、父親は何で妹が生き残らなかったのかと言うのです。
 妹が生きていた方がいいと思っていたのじゃないのと告白したとき、父親は少年を抱きしめます。そんなことないだろうってね。その瞬間が、事故でバラバラになっていた家族の気持ちが一つに結ばれたような気がしました。

 皆さんの中にも、愛する人を失したことがある人はいることでしょう。この映画のように立ち直れず、未だに尾を引いているかもしれません。でも、この作品のように誰かに
愛されていることを自覚できれば、喪失したうつろな気持ちが変わっていくのではないかと思いますよ。

 作品では、そんな思い話を韓国映画みたいに直球で投げ込んでいかずに、本当に少しずつ少しずつ、心が揺さぶる展開になっているのです。
 主人公の絵里奈の死も冒頭では明かされません。むしろ絵里奈を交えた歌と踊りに明け暮れる楽しい一家の団らんがこれでもかと繰り返されます。そして少しずつ絵里奈がいない現実が描かれていくのです。
 絵里奈は、自由奔放な性格で、限りなく可愛い少女。そこにいるだけで家族が笑顔と活気に包まれていました。そんな快活な少女を演じる吉田理琴はこの役にピッタリでしたね。
 監督は、家族の幸福のシンボルとして絵里奈を描いているので、事故のシーンもなく、ずっと笑顔ではしゃぐ姿ばかりでした。それが次第に絵里奈のいない現実が描かれていくことで、残された家族の淋しさが際だって伝わってきました。

 母・慶子を演じた水野美紀心身共にやつれ衰えていく様子は見事であったし、切れまくる父親役の苦悩ぶりを竹野内豊が好演していました。

 冨樫監督は、ファンタジックな映像が得意なようです。絵里奈の死んでいく様も空を飛んでいく天使のように、あるいは『死のトンネル』の先にまぶしい光明が包み込むように、どこまでも神秘的に描くのです。
 それに相まって、明るい鮮やかな映像も印象的でした。原作が海外小説であることか、オシャレな家や明る目のインテリアと衣装も取り入れ、少し日本の家庭のイメージを感じさせない映像に仕上げていたのです。
 ただそういうロケーションや大道具だけの問題ではなく、家族の絆に危機感を感じてメガホンを採ったという冨樫監督の人を見つめる視線が暖かいのではないかと思います。
 どこかふぁ~とした暖かさを感じさせてくれる映像でした。

 あとエンドロールで平井堅のテーマ音楽が流れながら見せる一家のスティール写真が良かったです。死んだ絵里奈も交えて、なんだか本当の家族のようです。さぞかし幸せだったのだろうと思いますし、これからも新しい命を足して、新たな幸せを家族で見つけていく予感たっぷりの写真ばかりでした。

追伸
 いまいじめ対策として文科省が躍起になって導入を進めている"スクールカウンセラー"が登場していましたが、あまり機能していませんでしたね。皆さんもあんなカウンセラーではいじめの解決ににはならず、小日向文世が劇中語るようにホンの気休め程度にしかならないことがお解りいただけたと思います。

 ところで何で英治は無謀に山に向かっていったのでしょう。試写や映画館で本作を見たマイミクさんからのご意見をお待ちしています。

流山の小地蔵