劇場公開日 1948年

「戦後の復興はひとりひとりの理性で心の結核に打ち勝っていかねばならないのだ」醉いどれ天使 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0戦後の復興はひとりひとりの理性で心の結核に打ち勝っていかねばならないのだ

2019年9月24日
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鑑賞方法:DVD/BD

1948年公開
終戦から3年後、まだ戦後の混乱が収まらない頃
前年には二・一ゼネスト闘争があり、本作公開の4月末の1ヶ月少し後には全学連の結成に繋がる教育復興学生決起大会が日比谷公会堂で開催されている
その社会背景を頭に入れておきたい

主人公はもちろん志村喬演じる真田医師だ
しかし本作は赤ひげのような医者を巡ってのヒューマニズムを描くものではない
本当に描くのは三船敏郎が演じるヤクザ達を通して、この混乱収まらない日本の姿だ

冒頭のタイトルバックに写され、本編で何度も登場する悪臭をはなつ泡をふきあげる泥沼
それがこの時代の日本の現状を象徴しているのだ

真田医師は泥沼に浸かって遊ぶ子供達をチフスになるぞと叱りつける
もちろん伝染病にかけて、子供達にこの戦後の混乱の泥沼の風潮に染まるなとのメッセージだ

この泥沼は無くすためには、本作4年後の「生きる」のように埋め立てて公園にでもすれば良いだろう
しかし人や社会はそれでは変わらない
人や社会の泥沼は埋め立てできないものだ

だから真田医師は、ヤクザの松永や刑務所帰りの岡田、その元情婦や登場人物全てを叱りつけて繰り返し、繰り返し追及するのだ

理性を取り戻せと
人間に一番必要なな薬は理性なんだよと

結核はその敗戦の混乱で立ち直れずにいる日本の現状を暗喩したものなのだ
だから真田医師はいつも不機嫌で怒鳴ってばかりなのだ
理性を取り戻せずいつまでも泥沼のままの現状の日本に苛立っているのだ
泥沼には今日もどんどんゴミが大量に捨てられていく一方だからだ

そうしてラストシーン
社会の泥沼に首まで浸かり、心をチフスに犯されそうだった居酒屋の女性は、そこから抜け出し道の真ん中をきれいな水が流れる田舎に帰ろうと誘っている
町の真ん中の泥沼と、道の真ん中を流れるきれいな水の対比は、これこそ本作のテーマであるとの宣言だ

そこに女子高生が、理性を持って結核と戦い、それに打ち勝って無事健康に高校を卒業したことを真田医師に報告にくるのだ
彼女は戦後の復興を象徴する新しい世代だ
彼女の笑顔が太陽の日差しの様に眩しすぎて、居酒屋の女性は彼女から目を背けてしまうほどなのだ

真田医師と女子高生は手を組んで、あんみつを食べに市場の人混みの中に消えていく

悪臭を放つ泥沼はこうして新しい世代の理性によって浄化されていくに違いない
そのような明るい希望と展望で本作は終わりを告げるのだ
だからカメラはパンしながら泥沼から市場に俯瞰して行くのだ

戦後の復興はひとりひとりの理性で心の結核に打ち勝っていかねばならないのだ

それが本作での黒澤監督の力強いメッセージなのだ
これこそが本作のテーマなのだ

三船敏郎は見事に泥沼の中に咲く徒花を演じて見せた

悪夢に登場する棺と、頬をこけたメイクは、吸血鬼ノスフェラトゥのオマージュだろう

序盤の物憂げな下手なギターの意味は何か?
戦後の焼け跡の何もかも失った日本を表現しているのかも知れない
岡田は大変上手くギターを弾いてみせる
結局、岡田が登場するとチンピラは練習を止めてしまった
そのギターは新しい情婦と遊ぶために岡田が取り上げていたのだ
下手であっても日々努力していくことが大事なのに、そんなことで戦後の復興はなるのか

それとは逆に、結核だった女子高生は気胸を毎日続けて快方に向かっているではないか
あんみつを賭けましょうかという彼女の言葉に真田医師は嬉しそうに、そして頼もしそうに見送るのだ
そのような思いが込められている様に思う

素晴らしい余韻が残る、構成と演出の巧みさが光る名作中の名作だ

あき240