劇場公開日 2006年2月18日

アメリカ,家族のいる風景 : 映画評論・批評

2006年2月21日更新

2006年2月18日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー

そこではきっと、誰もが生まれ直すことになる

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女性たちと子供たちの映画である。主人公は年老いた西部劇俳優で、彼の過去と現在とを巡る物語なのだから、どう見たって「男の映画」であるはずなのに、そうではない。主人公はどこか弱々しくだらしない。「どうして死ななかったのか」なんて冒頭から呟いているのだ。

もちろんそんな主人公が登場する「男の映画」だっていっぱいある。ではなぜこれが「女性たちと子供たちの映画」なのかといえば、この映画の女たち、そして子供たちだけが彼らの現在と未来に足を踏み出しているからだ。「死ななかった」主人公の生きる場所は、そこにはない。撮影現場を逃げ出して、本当の「現実」に足を踏み入れても、今更どうなるわけでもない。

そんな現実を主人公が受け入れるまでを、この映画は描く。それは男の人生の終わりかもしれないが、そのことによって世界の姿が変わる。光の中にある女たち、子供たちの傍らに、男のシルエットがある。そんな構図。男の時代はお終い。男がシルエットになることによって、女たちや子供たちの人生により深みが増すのである。つまり、女たち、子供たちも変わる。そこではきっと、誰もが生まれ直すことになるのだ。9・11以降の世界の混乱の中、覇権争いをする男たちの世界に背を向ける監督ベンダースの姿が、そこにはっきりと見えてくる。

樋口泰人

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