アインシュタインと原爆のレビュー・感想・評価
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学問が武器と結びついたとき
アインシュタインと言えば、その名を聞くだけで
相対性理論が思い浮かぶ人も少ないだろう。
けれど彼自身がどんな人生を歩んだのか、
あの恐るべき武器の開発に対してどのように感じていたのか。の
一端を知ることが出来る。
あくまでも、深く知るために。というものではなく、
出来る限り、脚色されたものではないようにという配慮を持った
きっかけとなるような作品だったように思う。
彼自身の発言やキャラクター性ばかりが記憶に残る人にこそ、
当時のドイツでのユダヤ人がどのような立場に置かれていたのか、
難しい物理の話は出てこないからこそ、見やすく理解の手助けとなるのでは
ないかと思う。
天才アインシュタインの誤算と罪
本作は相対性理論により既存の科学に衝撃を起こしたミダ「シ」王アルバート・アインシュタインが主人公。第二次大戦期の混迷の欧米諸国そして東洋の「アウシュビッツ」広島の惨を描くと共に、晩年のアインシュタインの葛藤と苦悩を描く。
誰よりもこの世界に疑問を持ち続けた20世紀を代表する科学者は
権力に振り回され、また科学そのものにも振り回される。
大戦期の混迷の世界において当時のアインシュタインは
希望を託すにはあまりにも歳をとりすぎていた。立場も弱かった。見通しも甘かった。
ナチスも米国も「犯罪者」に変わりないと感じざる負えない描写。
逃げ隠れするアインシュタインの勇気ある行動
も未来から見れば裏目に出ることもしばしば。
そんな不遇の天才は語る
「どんな政治的理念に対しても態度を改める必要がある」という
人類への警鐘。
そして、「子供のように現在に疑問をもつこと」の大切さだ。
この作品で切り取られたアインシュタインの言霊こそ
文系の私にも響く最高の発明だ。
科学と平和
「好戦的な平和主義者」の彼が、最も望まないものを生み出す手助けをしてしまった事は、ずっと悔いている事だろう。
未だに人類は科学と平和の両方を勝ちえていられない。
未だに理性的成長をなし得ていないからだろう。
神
の存在を実証する為に追求され普及されてきた科学が
究極、神と同体である。と言うことに気づいた瞬間を
ドキュメントした映画だといえよう。
最後にアインシュタインは
皆のアインシュタインであることを提示するが
ドイツ語で一つの石を示すと言う
アインシュタインの最後の哀愁を感じた。
21世紀は科学の限界と
科学の道具化が主となる時代の到来を告げる作品
E=mc²
E=mc²、
光速度不変の法則、
特殊相対性理論、
それぞれの、
それらしい内容、
書籍、文章、図、絵、画像、映像、
数々の説明を見てきたが、
腑に落ちるものは無かった。
時間や数字なんか、
人間が考えた概念。
確かなのは、
流れる現在だけ、
そう思たらええのんちゃいまっか。
理解したような気にもなるが、
実際の所、よくわからない。
ましてや、
一般相対性理論なんて全く理解不可能だ。
そんなアインシュタインの最後の演説だけは、
理解できる。
自由と寛容さを失いつつある人類への嘆きと、
新たな進歩は新たな疑問を生むということ。
原子力の平和への利用を認知し続ける事は間違いだ
僕はアインシュタインをマッドサイエンティストと思っていない。ウランの核分裂は彼が発明した訳では無い。
但し、彼が贖罪の如く持った罪の意識はきちんと理解すべきだと思う。
しかし『原子力の平和への利用を認知し続ける事』は間違いだと思う。
原子力の平和利用と言うが、微量の放射性元素の核分裂でエネルギーを作り出す訳であるから、実に野蛮なエネルギー取得方法だと思う。この映画の中でアインシュタインが『人類はまだ原子力をコントロール出来る技術は無い』と言う台詞がある。勿論、核兵器だろうが一般兵器でも殺傷能力のある道具を使用する事はしてはならない。つまり、戦争などもってのほか。まずはそれをコントロール出来ていないのだから、核の平和利用などあり得ないとなる。アインシュタインの贖罪はそこにあると思っている。
そのうえで、ヒトラーは『マイカンプ』の中で、日本や東洋系の人種をヘイトしていた事を知るべきである。つまり、ナチス・ドイツにとって、日本は仮想敵国であった。
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